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夏が来ると死にたくなる話
現実的で行動的な話ではなく、思考的で概念的な話だ。
私は、夏が嫌いだ。
モチーフとしての夏は嫌いではない。
風鈴、金魚、祭り、花火、西瓜、向日葵、海辺、蛍、エトセトラエトセトラ。
そういったものは寧ろ好きなのだけれど。
抜けるような青い空
波打つ大きな白い雲
照り付ける太陽の光
生を謳歌する蝉の声
……というような、如何にも「夏です!」という「空気」が嫌いなのだ。と思う。
――今回は、そんな話。
なんか無理そうかも、と予感がしたら閉じてくれ。
読み進めるのは自己責任で。
戻るなら今の内だ、心の準備はよろしいか?
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夏は生命の季節とはよくいったもので。
冬を耐え忍び春に芽吹いた命が、夏で育まれ秋で穫られ、冬に別れるというのがまぁ一年、四季のサイクルなのだけれども。
だからこそ、とでもいうのだろうか。
世界すべてが「生」を叫ぶこの季節が、本当に嫌いだ。
抗いたいのか否定したいのか捻くれているのか諦めているのかバランスを取りたいのか、
兎角、世界が、空気がそんなものだから、死にたくなる。
カリギュラ効果でもあるまいに、世界が死なずに生きろと言うので死にたくなるのだ。
まぁ、現実的で行動的な話ではなく思考的で概念的な話なので、
死にたくなったところで死に切れる保証もないのでずるずると息をしてしまっているし、
実際に死ぬとしても夏場の死体は腐るのが早いから多分夏は避けるし、
(冷房の効いた屋内で死ねばいいのかもしれないが)
死ぬだけの気力も削がれるのが夏の一番嫌いな所だし、
夏に死にたくなっても夏には死なないのだろう。
惰性で夏をやり過ごしても、その後の秋も冬も春も、どうせ死にたくなるし、どうせ惰性で息をする。
ただひたすらに、夏の空気が希死念慮を強くする。
それだけの話。
死にたくなるのは夏に限った話ではないのだけれども、死にたくならない夏はない話。でした。