21歳の相葉雅紀くんへ

嵐活動休止の日が、いよいよ近づいてきました。


連日、テレビではこれでもかと言うほど嵐の過去映像を振り返ってくださるので、否が応でもこれまで嵐と歩んできた自分の人生を振り返らざるを得ない日々です。


遡ること16年前、相葉さんのラジオの生電話企画に出演させていただいたことがあります。
(私の人生における最大のラッキー事案)


当時、中学進学直前の春休みだった私が投稿した「どうしたら友だちがたくさんできる?ぜひ相談に乗ってほしい」という内容のメールが採用され、相葉さんに電話で相談に乗ってもらいました。


じゃあ自己紹介を練習してみよう、という相葉さんの提案で自己紹介の練習をやることに。
「趣味」のくだりで、こんなやり取りがありました。



私「趣味は…嵐、です!!!」


相葉「あはは!!友だちいなくなったらどうする?趣味「嵐」ってわかんないんじゃない??(笑)」



相葉さんも21歳のお兄さんながらに気を遣って自虐っぽく言ったんだろうけど、この会話が交わされた当時、嵐は鳴かず飛ばずと呼ばれた時代だったと今も語り継がれています。


確かに「嵐が好き」はまだしも、「相葉くんが好き」と言おうものなら二言目には必ず「誰?」と返ってくる頃で、もちろん周りに嵐を語れる友だちさえおらず、ネットを通じて嵐好きの友だち探しをしたものでした。

チャット、掲示板、ホームページ、ブログという今では衰退してしまったあらゆる媒体を通じて、同年代の嵐が好きな子と仲良くなっては、文通をしていました。あの頃はなぜか仲良くなると手紙に移行していましたね・・・

そのうちの何人かとは、その後実際に会ったり遊んだりしていますが、住んでいる場所が全く違う子と会うことも、実際会ったのは初めてなのに初めてじゃないように会話が弾むことも、本当に不思議でした。


それもこれも「嵐」というたった一つの共通点が繋いでくれた縁でしかありません。たった一つしかないけど、それが何より大きく、大切で、ただそれだけで人って仲良くなれるんだなって幼いながらに思ったものです。

もう、あれから10年以上経っているというのに当時出会った友だちのほとんどと、未だにTwitterやインスタで繋がっていたり、またほぼ全員が嵐を好きでいることが本当にすごいことだなと感じます。



ちなみに、私が中2の時に嵐にとって転機の一つだと言われている花男が放送されたわけですが、確かにあの時の花男人気はすごかった、けど、まだ「認知度は上がったけどファンが増えたわけではない」感が強かったです。周りに嵐ファンが増えたわけじゃなかったですし・・・。当時はKAT-TUN全盛期だったし、掃除時間に青春アミーゴが流れようものなら校内のいたるところから悲鳴が聞こえたけど、嵐が流れても誰も何も言わない・・・みたいな感じでいじけていたのをよく覚えています(笑)


高校受験前には、毎朝「Love so sweet」を目覚まし代わりにして朝勉強やってたので未だにラブソー聞くと当時のことを思い出します。受験本番の時は「サクラ咲ケ」聞いたおかげもあってか晴れて志望校に合格することができ、高校入学してから初めて嵐好きな友だちができました。


その子は3年間クラスが一緒だったわけでもなく、部活も委員会も違ってなんにも接点なかったけど、共通の友人が「あの子も嵐好きだよ」って教えてくれたことがきっかけで、話をしてみると今でいうところの「解釈がめちゃくちゃ同じ子」だったので、急速に仲良くなれました。

10分で着くような帰り道を話し込みながら1時間くらいかけて一緒に帰ったり(どこか座れよ)、掃除時間に嵐の曲が流れるとお互いのクラス抜け出してスピーカーの真下で聞きこんだり(掃除しろよ)、とにかく接点ない2人が一緒にいるし謎な動きをしていたため「ねぇ、えぬとあの子ってどういう関係なの?なんで仲良いの?」と周りから何度か言われたことも。

その子もまた、嵐が好き、というたった一つの共通点だけで始まった友だちです。


今じゃ高校卒業してから1番遊んでいる友だちだし、その子と私の母親と一緒にコンサートにも行くし(母親とも超仲良し)、親友と呼べる存在になっています。



そして「あれ?嵐売れてる?」って肌で実感したのは高2の時(魔王と花男映画をやった年)です。あの時、初めて、初めて!!掃除時間に嵐の曲が流れてクラスがわいたんです!!!中学時代、誰も何も言わなかった嵐の曲で!!!そして「嵐のコンサート行きたい」「チケットってどうやってとるの?」「ファンクラブってどうやって入るの?」などと周りから初めて聞かれて、そんなことでもとにかく嬉しくて、みんなで行こう!チケットとったる!!!って豪語していたものです(その数年後、そんなこと言えなくなるんですけどね・・・)




大学進学とともに東京に出て一人暮らしを始めましたが、最初の半年くらいかなりホームシックに陥ってた時も心の支えになっていたのは嵐でした。ずっと嵐の曲聞いてDVD見て元気もらったり、ファイトソングのような押しつけがましくない嵐の応援が、とても沁みた年でした。

結果的に、大学4年間地元を離れて東京で暮らしたこと、引っ込み思案で人見知りだった私には本当に良い経験だったと心の底から思っています。一人で何かをやること、決めることに抵抗がなくなったし、社交性が身についたと思っています。家族のありがたさも理解しました。友だちにも、アルバイト仲間にも恵まれました。
東京で暮らすことを決断する時、そうとう悩みましたが、母が「嵐がいる東京だから大丈夫!」と背中を押しました。傍から見たらなんだその理論は、ってなるけど(笑)そうだなって思えるくらい、「嵐がいる東京だから行こう」と決断できたし、前向きになれました。


大学1年の時、初めて国立競技場の公演に入ったんですが、あの時会場に入った瞬間の人の多さと、「ここにいる人たち、全員が嵐のコンサートを見に来ている」という事実にぶわっっと鳥肌が立ったこと、同じ空の下で嵐と一緒に過ごした時間、花火も風船もサマースプラッシュも、とんでもなく素晴らしい空間だったことは一生忘れないと思います。「あれ?嵐売れてる?」が「いや、嵐売れたわ」の確信に変わった瞬間でもありました。



社会人になり、この頃になると嵐が市民権を得すぎて逆に嵐ファンであることを入社直後はひた隠しにしていましたが、まぁなんと会社に嵐好きのお姉さまがこれまた多くて、結果的に先輩方と仲良くなるきっかけにまた嵐が一役買ってくれたのです。先輩方と休みの日に鑑賞会を1日中やったりして、私が今の会社に馴染むための入り口を作ってくれたのも、やっぱり嵐でした。

先輩の中に、知り合ってすぐに私を叱った方がいるんですが、叱られたのは私が悪かったんだけどまぁその先輩が怖くて。これはどうやって仲良くなろうか・・・と考えていた時に、その先輩のデスクトップに嵐を見つけて、これだ!!ってめちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。

結局その先輩とは、飲みに行ったり休日に一緒に出掛けたりはもちろん、一昨年5×20コンサートに一緒に行くまでの仲になりました。活動休止のニュースを教えてくれたのも、その先輩だったなぁ。公私ともに1番お世話になっている先輩です。




と、ここまで私が嵐と出会ってからの人生をざっくばらんに書いてみました。





さて、21歳の相葉雅紀くんへ。


あの時、嵐が趣味だと言った私に、あなたは「友だちがいなくなっちゃう」と言いましたが、どうでしょうか。


「嵐が好き」だったことで、私はたくさんの人たちと出会えました。

出会うはずのない人たちと出会えました。友だちができました。

一歩踏み出す勇気をもらえました。

ただそれだけで、世界がこんなにも広がりました。

嵐が架け橋となって、人と人を繋ぎ、世界を広げてくれたのです。


そして同じく21歳の夏、あなたは「トップになりたいって夢、絶対叶えようね」と泣きながら宣言しました。

あの頃想像だにしなかった世界が、待っています。

すごい世界です。あなたも、私も、誰も想像できなかったようなことがたくさん起きます。

すべて、5人が信じた道を疑わず、途切れずに誰も離れずに歩んだからです。


私の人生にはいつも嵐がいて、嵐の歌声があって、楽しい時も悲しい時も辛い時も、思い出の傍らにはいつも嵐の存在がありました。
2021年から嵐としての活動はいったん休止してしまうけど、嵐と一緒に歩んだ人生があります。かけがえのない思い出があります。
思い出を抱きしめながら、嵐が繋いでくれた縁に感謝しながら、これからも嵐が広げてくれたこの世界で、生きていきます。




たくさんのかけがえのないもので私の人生を彩ってくれて、本当にありがとう。

今日も、これからも、ずっと
嵐を好きでいることを誇りに思います。







(21歳の相葉さん、私の相談内容に最初「俺も友だち少ないからなぁ~」って笑ってたけど、風間ぽんやよこちょ、ステキな仲間がそばにいるよ!)

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