選択肢が多ければ強いという原則
こんにちは。youtubeか何かのコメント欄で、n700sという新型のデザインが結局n700のモデルをほとんど引き継いでいることから、n700系のこの流線形デザインが完全体なのだというコメントを見つけました。
今回の記事について
以前私は経営戦略を学ぶ意味を考えるという記事で、個人として人生を戦略的なものにしていくうえで、企業という対象をもちながら戦略を学べる点に、経営戦略を学ぶ意味を見出したのでした。
その一つのケースとして、選択肢が多いプレーヤーのほうが戦略上有利である、という原則を経営戦略の授業を受け学び取ったことを書いていきたいと思います。
根拠となった経営戦略の議論
この原則を見出した源の議論は、マイケルポーターの5forcesのフレームワークです。これは、企業を取り巻くプレーヤーを5種類に分類することで、企業が置かれている業界の構造を分析することを目指す概念です。そのプレーヤーの分類は、①競合他社②供給業者③顧客④新規参入⑤代替品、になります。この議論の②と自社、③をつなぐ、サプライチェーン(供給網)といわれるような、製品が流れている経路を構成する企業との関係において、「交渉力」という概念があり、その概念を個人としての戦略的な交渉力として応用できないかと考えました。
企業としての交渉力
例をあげて説明するため、製品を車として、その部品を作って売る会社と、完成品を組み立てて売る会社を考えます。モノの流れは前者から後者へという動きになります。自動車の完成品メーカーが、同じ種類の部品について多数の部品メーカーから調達を行っているとします。この場合、完成品のメーカーとしては、どこから部品を調達するか、選択肢を豊富に持っていることになります。仮に部品の質にこだわらない場合、価格が大きな交渉の検討要素になりますが、このケースにおいて完成品メーカーは、交渉先の部品メーカーに対して、「この価格よりも安くしてもらえなければ、他の部品メーカーに調達先を変更(スイッチ)する(から安くしてほしい)」と強く迫ることができます。潜在的な取引先が多いほど、乗り換えがしやすくなり、その乗り換えのしやすさというのが、部品メーカーにとっては脅威となる。なぜなら乗り換えられたら部品メーカーは売り上げの源の一部を失うから。
この状況に対し、部品メーカーが完成品メーカーに対して交渉力を上げるには、製品差別化と、同じように部品メーカーの側も他の完成品メーカーと多く取引することが、策としてあります。自分たち独自の特徴を持った部品を作り、さらにその独自の特徴が顧客(完成品メーカー)の製品の重要な要素となっているとき、顧客は他の調達先にスイッチできなくなります。また、多くの完成品メーカーの取引先を持つことで、たとえ一つの完成品メーカーからスイッチされても、そのスイッチが総収入に与える影響を軽減できるたね、完成品メーカーのスイッチ脅しに負けて部品の価格を下げる必要はなくなり、「変えたいなら変えればよい」といえるだけの余裕が部品メーカーに与えられるわけです。
個人への応用
こうした企業間の交渉力の議論、つまり選択肢が多ければ多いほど強いという原則は、個人が生活で出くわすさまざまな場面にも応用できると思います。学生の分際でトピックにあげるのはあれですが、例えば転職活動を例に考えます。よくひろゆきさんが転職をする際には、今の企業に名前を置きながら転職活動をすべきだとおっしゃいますが、そうすべき理由もやはり選択肢の多さから来る交渉力に求められます。中途採用をする側の企業から見て、候補の人が現在いる会社で働くという選択肢も有している場合、人間としての余裕を感じられるからです。
人間関係への応用(賛否ありえる)
私はこうした交渉力の議論を、とくに人間関係に当てはめられると考えています。人との間柄を「選択肢」と捉え、「交渉力」やパワーに基づいて人間関係を築いていこうという発想は、当然友愛や恋愛という人間関係の要素を道徳的に貶める側面があることは理解しております。ただ、支配したり服従したりといったような政治的な駆け引きベースとまでは考えずとも、自分が置かれている状況を見る捉え方の1種としては、有用なのではないかと考えています。
人間関係強者の特徴
ここでは、「陽キャ」といわれるような人間関係がとてもうまくいっているような人の、強みの源泉を論じていきたいと思います。先ほどのフレームワークを当てはめれば、彼らの強みは「選択肢」の多さに求められます。友好な効な関係を取り結ぶ相手の頭数が多ければ多いほど、それぞれの相手に対し、余裕をもって接することができます。もちろん、いくらでもスイッチできる「選択肢」が存在するからといって、それぞれの人間に対して乱暴に、高圧的に接すれば、善い人間ではないと思います。善い人間を志向するのであれば、その人間としての余裕を人を支配するために使うのではなく、人を楽しませることに使うべきといえます。
防衛力という意味合いが強い
陽キャの文脈で考えましたが、この人間関係上の交渉力の発想は、人を支配できるという意味というよりは、人に支配されないためのものと捉えています。人間関係のレパートリーが多ければ、それだけに一人一人のあいてにたいする依存度が下がる。だからこそ、相手が自分の好まないことをしないための抑止力にすることができるのです。
夫婦の関係を想定しましょう。夫婦の愛は、当然原理的には依存することが素晴らしいものであるわけですが、それを逆手にとってDVのような一方的な支配関係や暴力関係が出来上がったりもしてしまう。そうならないために、それぞれの配偶者が、付き合いや結婚の後も異性の友達を複数持つことは、ある種の人質政策的な意味で有効ではないかと考えます。
終わりに
最後にもう一度、この手のパワーに基づいた政治学的で殺伐としたものの見方を、この記事のように人間関係に当てはめることは、必ずしも適切ではありません。人間関係の持つ絆や愛といった情緒的な側面を毀損する可能性があるからです。あくまでも自分の置かれた状況を見る一つの方法として考えればよいと思います。
別の記事で、この手の発想を恋愛に当てはめた議論をしようと思います。今日はお読みいただきありがとうございました。