買い手側の参入障壁を考え、小売やマーケティングの存在意義を知る
ビジネスを営む側に参入障壁の議論がされてきた。これは買い手にも当てはまる。
非常に安い製品が売られていた(安い機会、とよぶとする)として、この場合「完全な」状態であれば安さを求めて大量の買い手がおしよせる。結果的に価格は上がり、うまい話は存在しなくなる。
とはいえ、現実は完全ではない。自然に発生している買い手に対する参入障壁がある。安い製品が売られている場所へのアクセス、安い製品が売られているという情報へのアクセスは、全ての人ができるわけではない。
金融の領域で、裁定機会という概念を大学で知った。同じ製品が、安く取引される場と、高く取引される場が同時に存在し、前者で買い後者で売れば、「ただ」で儲けられるという機会のことだ。とうぜん、市場メカニズムで価格の差が縮み、うまい機会は失われる。
市場メカニズムでうまい機会が失われることを防ぐのが参入障壁である。買い手側と売り手側の両方に存在する。
生活者としてのレッスンとしては、この安い機会に立つ参入障壁を見くびらず、認識することである。自分は軽々と安い機会にありつけると考えてはいけない。また、参入障壁を低く認知して乗り越えようとすると、存外大きな参入障壁に悩まされる。安い店を探し回って旅行の貴重な時間を浪費するなら、すぐに高い店に入ればよいという話がこれである。
こうした参入障壁を乗り越えるコストを下げることは、かなり革新的な行いである。一筋縄ではそれは実現されないと心得ることが大切だと思う。自分だけに参入障壁の高そうな「安い機会」があると考えるのは危険である。
安い機会に自分がアクセスできると知った時は、既にその機会には何らかの参入障壁が織り込まれており、実際はそれほど安い機会ではないと思うこと。それ以外の場合は、自分の関心やその他リソースを奪う詐欺であると考えるようにしたい。そうでもなく本当に低いコストで安い機会にありつけたら、それは「幸運」というものだろう。ほんらい自分のような人間は、安い機会に簡単にありつけるわけではなく、往々にしてその参入障壁は高くつくと考えたい。
安い機会にアクセスする参入コストが大きすぎるため、そのコストを低減するために小売業やマーケティングが存在している。彼らは顧客から参入コストよりも安い対価(小売価格)を受け取り、彼らよりも安い参入コストで安い機会にアクセスする機会を顧客に与えている。安い機会の美味しさは逓減しつつも、顧客は参入障壁があれば手放していた製品を手に入れることができる。マーケティングは、安い機会が存在するという情報を顧客が自ら獲得するよりも安い労力で提供する。顧客はマーケティングコストに甘んじながらも、自らが参入障壁を乗り越えるよりも安いコストで安い機会に便乗することができる。