少しのあいだ、さようなら

恋人と住んでいた北にある家を出て、また生まれ育った家に戻って二年ほどいた。家に家人といる間はひとときも気が休まらず、誰にも告げずに飛行機のチケットを取り二ヶ月の間ヨーロッパを放浪し、また南の果てにある島に移ってきたのが半年ほど前だ。あまりに時間が経つのは速い。

私はその間にも男と出会い、あらゆる偶然が重なり、小さな家に二人で居付くことになった。
私は既にここを出たい衝動でそわそわとし始めていて、またあらゆるままならなさに時々物憂げな気分になったりする。
人と暮らすということは、本当に難しいことだ。自分一人ではないということを、不自由さではないのだと早く知りたい。自由に動ける無責任さを存分に享受する以外の幸福を浴びるほどに感じる瞬間があったことを、私は既に忘れかけている。

この島で仕事を始め、男と出会った。私は彼を家に招き、動物のように一日の半分をひたすらに互いの身体に耽ることに費やし、あとの半分は眠ったり食事を取ったりした。
そうして、私は今までに欠乏していた栄養素を貪った。愛されるということ。

私は自分を愛されるに値しない人間だと思っていた。自分のことを自分自身がまず愛することができなかった。それは今もそうで、なんでも、幼少のころに、無条件にただ存在しているだけで湯水のように溢れるほどの愛を享けなければ、自分が自然に愛される存在なのだと知ることができず、自己に対する愛が芽生えないのだという。
だから愛されることに衒いのない人間は強いのだ。私は無条件に愛されていい、ーーいや、その可能や不可能ではなくーー愛される人間なのだと、信じるともなく自分の中にその受け皿を置いておくことができる。

私が何をしなくても、何をしても、その愛は向こうから飛び込んできた。
愛されるに値しないと私が拒む前に、夕飯の匙を赤子の口に入れる母親の手つきのようにやさしくその愛は入り込んできた。
自由が欲しいと強請るそばから、愛は私をがんじがらめにして捕らえた。
私は愛されているし、その愛は自分に向けられているものなのだとはじめて私は認知した。
何があってもこの人は私の味方で、私の側について私の盾になってくれるのだと、信じ、自分を委ねることができた。

私たちのあいだに多くの時間が流れた。もうはじめに冒頭の文章を書いてから何年が経ったのかわからないほどに月日は流れていった。変わらず私には愛が注がれていて、それは揺るぎない強さでもって私を守ろうとしてくれているのだと私は気付いた。
私が私について語るとき、もうこの愛以外には愛を書くことができなくなった。もう過去の愛のことしか、手持ちのカードから一枚引き出すように書くことしか、もう残されていない。

なぜなら私には終わったことしか書くことができないからだ。もう終わった愛についていくつも書いてきた。それはもう存在しないから、それを愛おしむように今までは書き残していた。祈りのように、私を見つけてくれる愛がどこかに存在するようにと願いながら終わった愛についてただ書いていた。
もう愛は私を探し出してくれたので、私は創作をする必要がなくなったということだろう。
私を救うためだけのフィクションを書く必要はもうなくなったのだ。それは愛が私を救うという夢のような話だった。

愛が私を救ったのかということについては、まだわからない。私はこの愛を受け入れている間に、精神を患い入院した。理由はわからない。私の幸せでない部分がまだ残っていて、それが顕在化したということだ。戻ってきたいま、変わらず、色濃く、愛は水のように私に注がれ、私は手足を伸ばして、それを伸びゆくままに太陽の下で遊ばせていることができる。私は自分が思うよりいつも、多くの人に愛されていたのだということもまた知った。

私が愛について綴ることは私を救う手段であった。
私は私の生が終わるまではその答えを出すことはしない。救われるために生きているわけでもない……私はその先を、汚ないものや美しいものも全部知ってその先を見届けたい。その先に見える光を探しているのだ。私が貰う祝福は私が生きる先に常にある。生き延びなければ、全ての祝福は受けられなかった。

私は自分にピリオドを打たないために言葉を書き残し続けるだろう。それは今までとは様相を変え、私が生きていることへの祝福を知るためのものになっていくだろう。私は私の存在を祝福することができたら、私の生を終えてもいいと思う。
今はまだそのときではない。それを知るのは、私が生を終える時で、私が今まで生きてきた道のりを人々が悼み、懐かしく思い返すときのことだろう。私がそのとき、微笑みながら、棺の中にいればいい。愛されていた、愛していたと、疑うことなく人々に思うことができていたならいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?