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きっとこれが使命でありライフワークであるんだなぁ

うりを


社協で働きたい

たびたび思うことがあったけど、最近また思うようになった。
=心が動く瞬間、想いが生まれる回数を増やしたい



高齢者が好き。
同世代は苦手(自称)なのに、不思議なほどありのままでいられるすごい存在。高齢者。

家族もそれ以外(近所や銀行員時代のお客さん)も大好きで大切で、みなさんの存在があってこそ今の私がいると言っても過言じゃないくらい大きな存在。

自分が高齢になったら、いや中年になったら、高齢者っていなくなるんじゃ!!(そんなわけないか)(高齢者というより自分の年齢+50歳以上が好きという感覚?)え!無理!そんな世界耐えられない!と思うこともしばしば。


なんでそこまで高齢者のことを想えるのかと聞かれるたび、「逆になんでそんなに想えないの!?」と素直に逆質問するくらいピュアピュア高齢者ラバーだった。

最近は、確かになんでだろう。と、そこをなんとか言語化した結果「共感力が高い」という理由に落ち着いた。
常にそばに高齢者がいて、半分感情移入しながら生きてきた。
死別や、転職や、引越しをして、最近は高齢者のいる日常ではなくなった。

今の自分はそこまでの思いがあるんだろうか

地域のなかで孤独な人がいないように、誰も寂しい思いをしないように、場を作りたいと思っていた気持ちを大学時代から持ち続けてきた。それが仕事でのモチベーションだった。どんな職種でも。

場を作ることが目的なのではない。寂しいと感じている高齢者の心を一瞬でもあったかくすること・尊厳を実感できるように伝えることが目的。それさえ達成できたらなんだっていいんだ。

社会に出て人と関わることが増えると、なぜか形にすることや能力として何か身についている状態であることを目指してしまう。
手段が目的化するとはよくいったものだ!



シンプルに
顔が浮かぶ人がいて、何人かいて、その人たちのためにという想いが何段も階段すっとばして世の中の高齢者のために!と心から思える状況をつくっていたんだろう。

そのひとたちが減ってきたいま。もしこれから顔を思い浮かべる人がみんな天国にいっちゃったら?わたし、どうなるんだろう。(いまは死んだ祖父母や近所の人のことを思って「恩送り」と言いながら奮闘しているけど)

高校時代、初めて買った一眼レフで撮りたかったのは当時生きてた尊い家族や近所のおじいちゃんおばあちゃんのありふれた日常、飾らない笑顔だった。

写真を撮って、印刷して渡して喜ばれて。数日後「寸志」と書いた封筒(3千円在中)わざわざ届けてくれたこともあったなぁ。

通学路にある高齢夫婦の家によってお話して。小一からの付き合いで、もう25年近くなる。大学生になった頃からはお土産をもって遊びにいってた。


与えられてしかなかったんだ。(与えていた感覚なんてまったくなかったのに、大人になるにつれ(といっても25歳くらいから)、忙しくなるにつれ、与えている側という自覚が芽生えた。

それがなんだか良くない変化ダナとおもった。



話はそれたけど、やっぱりこの感覚をいつか失ってしまうことが本当に怖い。当たり前に歳をとって、通学路のお友達は70歳だったのがもう90歳。
いつかいなくなっちゃう。

家族や近所だけだったのが、銀行員として働いていたらまたまた大切おきゃくさん(おともだち)と出会えた。帰るたび会いにいってる。大好き。

93歳のおともだち(元々お客様)に島根のお土産を届けた時の、やさしくて愛おしい手。


こんなふうに、

わたしがわたしらしくいられて、関わりの中で熱い思いや課題をみつけて、その解決のために仕事をする。
この流れを作るには、ボランティアでもなんでもいい。仕事でもそれ以外でもいいから何か継続的に関わることが大事なんだって

おもいました。



こないだ帰省したときに参加した社協のサロン、みんな優しくて可愛くて癒されたなぁ〜。

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