沼に嵌っても命綱を外せない
以前からVtuberオタクだった私ですが、最近明らかにホロライブ推しになっているのを改めて、いやもしかしたら今日初めて自覚したかもしれない。
基本的に特定の箱に肩入れし過ぎず色んな箱を広く浅く見ていこうってスタンスで追ってたつもりだったけど、ノンストップストーリー開催発表
辺りから偏りが出始めたと思う。
偏ってきた理由は他にもあるけど、それを話すとなると他箱の話にもなるのでそれはまた別の機会に。
そんなこんなでノンストップストーリーでは一次先行に見事当選して現地組での参戦だったり
本日開催(これ書いてる時に日付変わったから実質昨日だけど)されたおしゃべりフェスにも1部当選しちゃったワケよ。
誰と話そうか前日まで悩んだ結果、1部に参加するメンバーの中では自分が"まだ"配信を見れているだろうミオちゃんにしましてね。
話の内容は書かないけど、私とタイマンで話したミオちゃんはいつも画面から見ているミオちゃんそのままで
なんというかこう、安定感というか、安心感がありましたね。流石ミオママや…。
そんな感じでしゃべフェスで話せた事に満足しつつ、秋葉原駅前に戻ってホロアトレの写真を何枚か撮りつつ
川崎に移動し、ラゾーナで『ナゾトキバレンタイン』を脳細胞をトップギアにしてクリアし
家に帰って今日買ったときのそらちゃんの写真集『そらびより』を「これ背景みなとみらいやんけ!」って言いながら見て
これでもかと言わんばかりのホロライブ充な1日を過ごしましたとさ。めっちゃ満足したわ。
おしまい。
…ではなくて、ここまでどっぷり沼に浸かっておきながら普段の配信ではコメントせずスパチャも投げず
Twitterでリプを送る事もなく、絵も描けないのでファンアートも送れない。
そんな感じで、どこか一歩引いたところから応援している自分がいる。
実際今回のしゃべフェスも、2019年のニコニコ超会議で行われたしゃべフェスでロボ子さんと話した時も名前聞かれたけど「名乗る程の者では…」つって名乗らなかったので。
推しから認知されたいっていう思考は理解出来るし、そういう意識も自分の中に少なからずあるんだけど
配信を追い切れていない事への負い目だったり、自分なんかがおこがましいみたいな
めんどくさいオタクの感情を自分に振りかざして推しと一定の距離を取ろうとしている。
後はいつか来る"その日"に備えて自分が受ける心のダメージを軽くしようって保身の意味もある。
「推しは推せる時に推せ」とは言うが、もし"その日"が来た時に、どんな感情でその現実と向き合えばいいのか。
「もっと推しておけばよかった」という後悔よりも「こんな思いをするのなら花や草に生まれたかった」という後悔の方が大きくなってしまいそうで。
(※でも僕はガチ恋オタクではありません。これだけははっきりと真実を伝えたかった。)
理解はしていても、…いや、理解しているからこそ先に踏み込めずにいる。
聖帝サウザーも「こんなに悲しいのなら…苦しいのなら…愛などいらぬ!」って言ってたし(?)
…そんな訳で長々と書いたけど(書いてる途中で眠くなってきたからここで切り上げた)
実を言うとノンストップ終わりから(イベント後くらいは自分の気持ちを推しに送ってもいいんじゃねーかなぁ)って思ってたりする。
でもやっぱりリプ送る勇気出ね~~~返信貰えたりいいね貰えたら嬉しいの間違いないけど拗らせオタクにはなりたくね~~~
そんな感じでジレンマは終わらないけど、この先ホロライブ沼に更に嵌っていくと思う。
でも沼から抜け出せるように命綱は着けたまま。なのでコメントもスパチャもリプも滅多にしない。
もしそれらをするようになるとしたら…
その時は命綱が切れているであろう。