鳩ポッポよ、フェニックスのように羽ばたけ 四半世紀にわたるイトーヨーカドーさんとのお付き合い
本日のOP
本日のOPは、イトーヨーカドー津田沼店の閉店のニュース動画です。
前回の記事では書き足りてないところもあるので、
追加で書き連ねることにしました。
応援メッセージになると良いのですが。
冒頭の写真は、船橋店さんの10月の大創業祭で購入した、
ロゴマークをあしらった和菓子です。
白餡の中に黒餡が入っていて、とっても甘い。
普段はこういうロゴ菓子は買わないのだが、
津田沼店閉店の思いに駆られ、買ってしまった。
コロナの流行が無かったら、津田沼店さんも もうちょっと延命できて、
このお菓子を店舗に並べることが出来たんだろうな、と残念に思う。
それを一番ひしひしと感じておられるのは、スタッフさん達だろう。
写真の鳩が上向きなのは、
店舗のリストラによって経営体力を回復し、
不死鳥のように復活して力強く飛び立って欲しい気持の表れです。
そもそも白鳩の名前って何?
動画にも映っている通り、イトーヨーカドーさんの扉の押手部分には、
ロゴマークの白鳩があしらわれている。
今更ながら、この鳩の名前って何だっけ?と思って調べてみた。
どうやら名前は無いらしいが、平和の象徴のようだ。
案内キャラクターとしては、ハトソン君の方がなじみ深い。
今回の記事は、もう閉店してしまった旧市原店や奈良店も含めて、
イトーヨーカドーさんに如何にお世話になったかを
しっかり書こうと思う。
ファースト・エンカウント 五井
イトーヨーカドーさんは、私の生まれ故郷には無かった。
そもそもなじみが無かったのに、振り返ると長いお付き合いになりました。
初めてお買い物したのは、千葉県市原市にあった旧市原店だった。
住居から一番近い総合スーパーで、確か夜10時まで開いていたと思う。
近場のスーパーだから利用する、そんな感覚だった。
旧市原店ではたまに、イベントなども開かれていた。
時をかける少女の主題歌でおなじみの奥華子さんが招かれて
ミニライブを開催されたこともあった。
房総半島の田舎だったが、特に買い物に不自由することも無かったのは、
旧市原店さんのおかげだ。
店舗と駐車場とは道一本隔てており、
マイカー買い物派には不便だったようだ。
しかし、車を持たない我が家には、全然問題なかった。
何年かすると、海側に新しいスーパーが建った。
なんでもそこは、駐車場が便利だということだった。
でも結局は、新しい建物の方が綺麗で雰囲気が良かったのだろう。
顧客は新しいスーパーに、かなり流れていったようだ。
一度訪れてはみたが、私には別にピンとこなかった。
五井には10年余り住んだが、毎日のように買い物した。
シーズン終わりには良質な肌着がかなり値下げされ、
ジャイアンツ優勝セールなどを狙って、
来年用にしこたま買い込んだのが懐かしい。
五井から引っ越ししてから数年後、閉店したと知った。
近接のLaoxさんも閉店したということで、
マイカー不所持の人間には、
五井の買い物利便性は大きく損なわれたと思う。
セカンド・エンカウント 栃木
栃木に引っ越したら、その市にはユニクロすら無かった。
そんなド田舎では、ヨークベニマルさんが一番近いスーパーだった。
都会育ちの人は「夜10時に閉まる」と文句を言っていたが、
田舎育ちの私には、スーパーは夜8時に閉店するのが普通だった。
何の不満も無かった。
店に行けば、見知ったプライベートブランドの商品が並んでいる。
小規模の店舗で取り扱われている洋服は、
肌着やパジャマや、ちょっとしたカジュアルウェア。
流石に使い勝手には劣ったが、たまに遠出すれば済むだけのこと。
不定期ではあるが、ちょっと贅沢目のお菓子もフェアで取り扱ってくれる。
日常生活には、事欠かなかった。
サード・エンカウント 横浜
横浜に引っ越した時は、ちょっと遠かったけど、
ららぽーと横浜店さんに通った。
ただ、近接する大丸さんの方に、当時は惹かれていた。
私が横浜を離れて何年か後に、大丸さんの店舗は閉店した。
閉店に追い込まれるくらい客足に劣る分、
閉店時間間際の値下げっぷりが良かった。
品質に優れたお野菜や牛乳なんかを割安に買ったなぁ。
おぉ、脱線脱線。
まあ、後から考えれば浮気したわけだが、
なんだかんだ言って毎日のように店舗には通っていた。
横浜ららぽーと店さんを知っていたので、
津田沼店さんが閉店すると2月に知ったとき、
建て替え中の船橋のららぽーとさんに新たに出店するんじゃないか、
と勝手に期待した。
今後どうなるかわからないが、
現在の顧客ニーズを上手く汲み取って、華麗なる復活を遂げて欲しい。
フォース・エンカウント 幕張
横浜の次は幕張に引っ越した。
イオンさんの方が近かったが、やっぱり利用するのは幕張店さんだった。
イオンさんの方が洋食志向でおしゃれだったと思う。
でも、イトーヨーカドーさんの品揃えの方が、しっくりきた。
お正月前には、紅白組で10800円という高級蒲鉾なんかも並んだ。
「さすが、幕張にはリッチな方々がたくさん住んでるのね」と
ビビったことが、懐かしい思い出である。
勿論、そんな蒲鉾なんて買えるわけが無い。
ただの目の毒だった。
フィフス・エンカウント 奈良
奈良の店舗で一番驚いたのは、巨人の優勝セールのBGMだった。
野球に疎い私は最初は気付かなかったのだが、そのうち
「タイガース、タイガース、ちゃんちゃんちゃちゃらららら~
はんしーんタイガース。」
という歌詞が耳に入ってきた。
巨人の優勝セールなのに、阪神の応援歌かい。
これが、関西というものなのか。
阪神ファンの愛の深さに、口があんぐりと開いたことを思い出す。
奈良に居た時に、台湾で大地震が起こった。
台湾の方々は、東日本大震災の時に、快く日本を支援してくださった。
そこで、恩返しのつもりで奈良店さんの募金箱に500円玉を寄付した。
後日掲示された奈良店さんの総募金額が7千円台だったのを見て、
オイオイそれだけかよ、と感じた。
関西の人には、東日本大震災で台湾の皆さんに好くしてもらったことは、
あまりピンとこなかったのかな。
奈良店さんは、閉店したSOGOデパートのビルに開店したとあって、
如何にもSOGOという感じの外観だった。
私が奈良を去って数カ月後に、閉店したらしい。
奈良の中心街にあったが、顧客が付かなかったのだろうか。
シックスス・エンカウント 津田沼
そして、現在の居住地 習志野では、津田沼店さんとお付き合いした。
旧市原店さんも、奈良店さんも、私が引っ越した後に閉店したので、
イトーヨーカドーさんの店舗の閉店をリアルタイムで体験したのは、
今回が初めてだった。
毎日訪れていた店舗が無くなると、日常の行動が変わってしまう。
津田沼店さんの売り場のどこで何が売られているのか
頭の中に店内マップが形成されていた。
今は、新しい店に馴染んでいる途中だ。
7階で津田沼の歴史が掲示されていたことを知ったのは、閉店後だった。
いずれ習志野を引っ越す身では、
閉店セールで買い溜めして在庫圧縮に協力することも出来なかった。
物欲を抑えるために、上の階にはわざと行かないようにしていたからだ。
7階でそんな素敵なイベントが催されていたことなんて、気付かなかった。
見れなくて残念だ。
閉店後に色々調べたら、
開店から20年くらいは、地域住民の憩いと楽しみの場だったようだ。
動物売り場や、7階のレストラン街。
沢山の人に喜びを与えたのだろう。
ただ商品を売るだけの店ではなかった。
かつてイトーヨーカドー内で全国売上No.1を誇った店を切り捨てるのは、
断腸の思いだったのだろう。
その決断によって今後の展望が開けることを、願っています。
イトーヨーカドーさんと付き合い続けた理由
私基準の「ヤバい」添加物が入っている食品が、少なかった。
お寿司に付いているガリには、ソルビン酸が添加されていなかった。
惣菜の添加物には、良心的な一定の基準があるように見受けられた。
他のスーパーでは、お惣菜にこんな添加物を使っているのか、と
驚くことがあった。
栃木のとある高級スーパーでは、
付け合わせの漬物にサッカリンが使用されていた。
津田沼店さんの閉店後に初めて訪れた某デパートのかつ丼には、
アスパルテームが添加されていた。
イトーヨーカドーさんのオリジナルの商品は、
大抵、安心して購入することが出来た。
そういう安心感が、お付き合いの鍵だったと思う。
今度どこに引っ越すかは、まだわからない。
そこに、イトーヨーカドーさんの店舗はあるだろうか。
私は、今後ともお付き合いしたいと願っています。
船橋店さんで買い物した時、久々にクーポンが発券されて、驚いた。
津田沼店さんでは、ここのところ発券されなかったから。
望みが無いから「黒」にトリアージされた、重傷者の扱いを連想する。
それでも、津田沼店さんが閉店に近づく中で、
出来るだけ顧客の要望を叶えようと努力されているのは、
伝わってきました。
サプライチェーンの使命は、顧客が必要とする商品を届けること。
その使命を尊んだから、色々経営判断が遅れたのだと思う。
その使命感を忘れずに、今後も生き残ってください。
追記
図書館の本を返すついでに、4日ぶりに津田沼駅周辺に行った。
4日前迄は毎日通った道を進んで行くと、
ミーナの角から姿を現す建物はそのまま。
近づくと、シャッターが閉まっているのが目に入る。
銀行のATMの横に設置されていた自販機は、すでに撤去されていた。
建物周辺をうろつくと、入り口の部分に足場が組まれている。
階段を上って2階の入り口に行くと、
ちゃんと左側のシャッターは閉まっていた。
手動で閉めたのか、故障が治ったのか。
そして、ここにもやはり足場が組まれている。
イトーヨーカドーさんが設置した外装が撤去されるのは、時間の問題だ。
内部の撤収作業はだいぶん進んだのだろうか。
スタッフさんは皆、最終営業日に向かって気持ちを張りつめていたはずだ。今は心の支えを失って、呆然としておられるのではなかろうか。
撤収作業終了まで、お疲れ様です。
正面に設置された赤い「Ito Yokado」の文字、
今度来るときにはもう無いのだろう。
グーグルマップからは既に、
イトーヨーカドー津田沼店の表示は無くなった。
それなのに、ヨークカルチャーセンター津田沼店の表示は残っている。
ちぐはぐだなぁ。
何年か後に振り返りたい記事
以下は、津田沼店さん閉店に関する記事です。
何年か後に振り返りたいときにまとめて読めるように、
他人様の記事を貼り付けました。
自分のためのスペースですが、ご興味が有ればどうぞ。
新たに記事を見つけるたびに、増殖しています。
7階の展示について 見たかったなぁ。
開店当時の記憶を保持されている方の記事
イトーヨーカドー津田沼店(@itoyokado_tsudanuma) • Instagram写真と動画
津田沼パルコさん閉店前に津田沼戦争について書かれた記事
長尺の閉店日のニュース動画
お客さんが長いこと残ってたら、店員さんも引っ込めなくて大変だ
シャッターの鍵を警備員さんが施錠する様が見れる。
2階は、扉の内側にもシャッターが設けられていたのか。
2分30秒付近の映像で、蛍の光が聴こえる。
・"I'm leaving for you"は、「翌日も営業がある日」用の音楽。
「明日もまた、きっとあなたにお会いできますよう、
心からお待ちいたしております。」というメッセージが入る。
・蛍の光は、大晦日用の追い出し音楽。
昔、元日はスーパーが休みだったから、大晦日は特別な選曲なのかな。
「最終」営業日なので、流れたのは蛍の光。
津田沼店さんには、2度と「明日」は来ない。
開始から5分30秒くらいまでは、
建物の外観や出入り口の様子がしっかり映し出されている。
8分ごろからシャッターが閉まり始める。
内部に顧客が相当数残っていても、
店内放送通りシャッターが夜7時に閉められたことが映像からわかる。
閉店日の店内の長尺動画。
最後の部分には、シャッターの閉まる様子が店内から撮影されている。
4分57秒以降には、
「19時には絶対シャッターを閉める」という決意漂うメッセージが
録音されています。
2階入り口の左側シャッターが、翌朝には開いており、
その夜には閉まっていたことが記録されている。
7階の展示が詳細にレポートされている。
見損ねた人間には、ありがたい。
店内の写真をたくさんご覧になりたい方
一番上のサイトさんは、店内の照明の様子なども、しっかり写っています。
この方って、ニュースで「一日中写真撮ってました」って答えていた男性?
閉店日当日の様子 2階ではシャッターが故障していたのか。
アナウンスの人のひょうきんさが良い。
立体駐車場の様子 車を持ってない私には、初めての光景
関係ないけど、サトーココノカドー
沢山努力してたんだね。
2021年の店内の様子 この頃はコロナ禍でも通常営業という感じ。
津田沼戦争の詳細
光と影の歴史
閉店に至った経緯。
それでは、お読みくださり、ありがとうございました。 以上