youtube編集日記4


僕が敬愛してやまないオモコロのtwitter告知の際に画像4枚を添付して告知ツイートを行っていることに気がついた。サムネイルだけでなく4つ並べれば、気になった動画が1つでもあればクリックしてもらえるかもしれない。次のツイッター投稿からは試してみよう。ハイライトの画像3枚+サムネがいいかなと思います。

これまで注目してこなかったものが、発信する立場に立った時にはいろいろと見えてくる。こんな手法があったのかという驚きや気付き。これらは僕の人生を豊かにしてくれるし、楽しい勉強の形だなぁと思う。僕が通ってきた道の途中にも、こんな楽しい勉強の形が落ちてたのかもしれない。拾い上げられなかったのは未熟さゆえか。あるいは、拾っていたことに未だ気がついていないだけなのか。

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最近は「新しいことを始めてみよう!」という意欲がもりもりの僕です。noteもその一環。

noteを始めなかった理由は、「文才があるかどうか自信がなかったから」で、noteを始めた理由は「文才があるかどうかを気にしているのが馬鹿馬鹿しくなったから」です。

要はどうせわからんことに時間を割くのには限界があるので、試しにアップしてみようってことで。そんな人生です。

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年末なのでゆっくり休ませてもらってます。
家の掃除が概ね終了したので、来年頭ぶんまでの動画編集を明日あたりに一気に、さっくり終わらせてしまいたいと思っていた。

ここで実際に作業にあたってみると、作業環境の重要性に気が付く。シンプルにデスクと椅子、その目線の先にモニターという状況がいかにありがたかったかを痛感する。腰がボロボロのボロネーゼ。

部屋内の家具をあらかた解体する前にさっさと編集済ませておけばよかったなぁ。見通しが甘かった。

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noteはsafariから投稿しないと、記事の中に正しくyoutube動画の埋め込みが機能しないことがあるようだ。なんでやねん。今日からnoteはsafariから起動することになった。やだやだ。にしても珍しいな。chromeだとうまくいかない、なんてことあるんだ。

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最近、その時々で思った気持ちを文章に書き起こすようにしています。僕は記憶力があんまりないものだから、noteを書くときにパッとその日のことが思い出せなかったりするんですよね。記事の足しになれば、と思って始めたことです。

ふと思いついたときにそこにちょっと書き足す。十分な長さになったらそれを出してみる、っていうのをやってみようかなーと。

僕はジャストアイディアはそこそこ優秀なほうだと自負している(ポジティブ)のですが、どうもそれが醸造されないまま世の中に出してしまいがちで、もったいない使い方をしているなぁ(ネガティブ)、と思っています。

実際に記事を振り返ってみても、その場の思いつき思いつきで文章を形成していってしまっている。本筋からずれちゃったり、前後の文脈がわかりづらかったりってことが起きちゃう。

アイディアを書き溜めておいてそれを繋げていくっていう方法は、その破綻の対策になっているんですね。続きを書いていくシステムなので、文章が破綻しづらい。そもそもメモが何度も視野に入るから文章の校正が自動的に進みやすいし。

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上にもあるけど、noteを始めてから、アイディアを書き溜めるようになりました。

アイディアはたくさん書き溜めておいて、それらが化学反応を起こすのを待つが乙らしい。

アイディア1に対して作品1があるのではなくて、アイディア複数で作品1を作る。すげー昔に読んだ「小説の作り方」みたいな本に載ってた手法です。

例えばトリック1つ思いついただけでは小説は作れない。こんな人がいたら面白いな、こんな偶然が起きたら面白いな、こんな過去があったら面白いな、みたいなたくさんのアイディアを結集しないと、小説は書けないよ。
みたいなことでいいのかな?ワトソン君。

これって動画作成でも全く同じことが言えますよね。深みのある動画を、1のアイディアだけで形作ることは難しい。複数のアイディアを組み合わせて、より面白いものを作ろうとする試みには、かなりの興味が沸き立ちます。

これに気がつけただけでもnoteやった「かい」はあったなぁ。何かを習慣づけて進めていると、巡り巡って必ず何か得るものがある。

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three good things も最近続けているんだけどこれについても既にやった「かい」を感じている。いろんな物事に対する感度が上がっているのを感じるし、この習慣を始めてから1日が無駄になったという印象がこれっぽっちもない。

理由は2つで、「その日にあったことを少なくとも3つ、よく記憶できるから」と「少なくともthree good thingsの記事を世に出すことができた、という事実が残るから」です。

ただ一方で、three good thingsは書く手間が安定してかかる。なんもしなーい日にどうするかって問題はある。なんでもない日からいいことを発掘できるようになれば、きっと試みは成功なので終了でもいいよなと思う。

ちなみにここ2日間は面白いことはあったけどthree good thingsを書けてない。書けてなくても、脳には残ってるから一旦よしとする。

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振り返ってみると、今回はあんまりyoutubeの編集日記って感じにならなかったな。でもいいんだ。総合的な物の見方が、こういうメディア仕事には生きてくるはずなので。などと言いながら、自分の価値観をどんどん垂れ流してみよう。

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