YouTube編集日記6


12/31投稿予定の動画を編集しながら息抜きに文章を書いてみる。

今年最後の編集となる。忘れてしまうかもしれないので、先に「良いお年を」を出しておこう。「良いお年を。」

さて、こちらに投稿するようになってから、プロジェクトメンバーの皆さんからは「言語化がうまいねぇ」みたいなことを言われて褒められることが出てきた。

これを言われていること自体は嬉しい限りだ。だが僕自らの僕の文章への評価は「雑魚っぱ中の雑魚っぱ」である。しっかりと構成を練っていない文章がそこまで評価を集めるのであれば、世の物書き達は苦労しないのだ。

大学の頃、1年間だけ演劇部に所属していた。そこで思い出す言葉がひとつある。「他人の褒め言葉は疑うことなく、素直にまっすぐ受け取るようにしたほうがいい」ってやつだ。これはまったくそうだと思うのだが、一方で「もっと批判をしてほしいな」と思ってしまう。

なんというか「批判的な意見」とでも言うべきか、そういったものが出てこないのはあまり望ましくないように思えるのだ。(バランスの問題。批判的な意見しか出なくてもまた、先には進めない。)

批判がなくては、成長が止まってしまうのではないかと不安になる。もっと言うなれば、批判的な意見を隠し持たれているのではないかと不安になる。

それは「長文すぎる」かもしれないし、「もっとわかりやすくく書いてくれ」かもしれない。「言葉の意味を間違っている」であるかもしれなければ、「これ読んでどうしろと?」かもしれない。隠し持っているなら出して欲しい。一時不快にはなることはあるだろうが、成長は必要だ。

この文章では、僕の日記に対しての問題として取り沙汰をしている。しかしそれはyoutube動画であっても、プロジェクトであっても、仕事であっても同様だ。批判的意見は隠し持たず、場に列挙してみよう。

——————————————

そういえば、先日の「優しい」問題の派生的な話をひとつ。

近年は、「もっと利己的であろう!」みたいなプロモーションが盛んに行われる傾向を感じる。

端を発する意見は「他の人の犠牲になってもいいことないよ」ってことであろうと思う。

例えばサービス残業に対する議論であったり、ブラック企業に対する議論であったり。利他的な行動をとった結果、その人にとっては不幸な結果となる。そんなケースが、平成の時代には頻発していたような記憶がある。

これらが問題であることは言うまでもない。しかし、「利他的な行動をとった」はずの彼らに、問題は本当になかったのか。

Twitterでサービス残業の、ブラック企業の愚痴を零していた彼らは、実際の問題に向き合うことをしたのだろうか。逆に、それをブラックだと感じていた人間は、どれほどいたのか。

僕はブラック企業やサービス残業を一定の「悪」であると断じた上で、そのシステムを支えていた所属員も同様に一定の「悪」であると断じている。企業を増長させてしまったのは、紛れもなく所属員であると断じている。

これについては「お金や余裕がないから仕方がない」という所属員への弁護もあるだろう。だがブラック企業も全く同じ言い訳をするので、やはり同じだなぁ、と感じてしまう。

そんな彼らが犠牲者面をするのは、いかがなものか。

利己的であろうとする世の中は、貧しい。
自分のことで精一杯の世の中は、貧しい。
豊かさは豊かさを生み、貧しさは貧しさしか生まない。

もっと優しい社会になってほしいなぁ、と願う。日本は既にだいぶ、「痩せた土地」になってきている。

————————————————————

議論のなかで、意見の前提をいちいち共有「しない」ことって、もしかすると時間の節約やチーム内の意見の醸造にあたって重要な要素かもしれない。

他の人の意見を聞くと、その前提や根拠が気になることが多い。でもその確認作業って、いざ行ってみると納得いかないケースってあんまりなかったりする。1の意見を聞くために3ターンぐらい消費しちゃってることも多くなってしまう。時間の無駄だなーと思う。

ただ、この確認フェイズをスキップするためには、「共通認識が取れているという共通認識」が必要となる。これができるようにならないと、長い期間でみた時には、時間がどんどん浪費されていってしまうということになってしまうのだ。

他のメンバーの「これがいいと思う」という言葉をどこまで信頼できるか。なんとなーくふわふわっと「なんかいいと思う」ぐらいの状態で受け入れられれば、議論のペースは結果的に上がっていくのかもしれない。

「こう言ってるし、たぶんこの人の中では面白くできる画が浮かんでるんだろうなー」とか「この人が言うからには、伸びるビジョンがあるんだろう」みたいな(実績があると、なお話が早い)。

余った時間は、その意見を用いて具体的にどうするかに充てられて、結果としてその会議はポジティブな意見交換の場となることだろう。

————————————————————

では、良いお年を(最後まで覚えてた)。アデュー。



いいなと思ったら応援しよう!