大麻止乃豆乃天神社
なんて読むのかわからない。
それが第一印象だった。
自宅にある、そこそこ大きめな神棚。
その片隅に追いやられてひっそりとある朽ちた小さなお社。
存在は知っていたけれど、あえて見ないようにしていた古ぼけたお社を、意を決して手に取ったのは何年前のことだったか。
神棚のなかでも、そのお社だけが異様な雰囲気を醸し出していた。
お社の扉はしっかりと閉ざされ、どの神様を祀っているのかもわからない。
ずいぶんと古く、みすぼらしいお社だった。
母にいつからあるのか聞いても、母も知らないと言う。
祖母にゆかりのあるものかもしれない。
そう思って、固く閉ざされたお社の扉を開けてみることにした。
一体何年閉めたままだったのか。
そう簡単には開かない扉を、力を入れてなんとかこじ開けると、
埃っぽい空気が鼻を掠める。
中に見えたのは、色あせた半紙に書かれた
「大麻止乃豆乃天神」だった。
簡単な漢字が並んでいるけれど、読むことができない。
初めて見る名前だった。
母に聞いても知らないという。
ネットで調べてみると、「おおまとのつのてんじん」と読むらしい。
大麻止乃豆乃天神社がある場所を見てみると、祖母ではなく、曽祖母に関係することがわかった。曽祖母の実家近くに、その神社があったからだ。
会ったこともない曽祖母の遺影は、険しい顔つきをしていて、幼いころは怖いとすら感じていた。30代で夫を亡くした曽祖母に関する逸話は暗い話が多い。偽物の借用書で土地を奪われた話や、「土地を奪った人物をにらみ続けるから、自分の遺影はその人の家の方向に向けてほしい」と頼んだことなど、怒りや悲しみが溢れている。
苦難の連続だったのだろう。
曽祖母に限らず、明治、大正、昭和と激動の時代を生きた人たちは、今の時代とは比べ物にならないほど生きることや、家族を守ることに必死だったのかもしれない。
そんな曽祖母の心の拠り所だったのが、大麻止乃豆乃天神だったのではないか。朽ちたお社に、曾祖母の想いを重ねてみる。
お社をこのまま神棚に置いておいてはいけない。
そんな気がした。
朽ちてみすぼらしいからではない。(それもあるが)
当時の曽祖母の想いが、まだこのお社にとどまっている、そんな気がした。
お社をお焚き上げしてもらい、曾祖母の想いを解放する。
実際には解放したつもりになっていただけだった。
うちの土地にまつわるエピソードは多く、結局は土地の歴史の紐解きなどをして、やっと曽祖母を解放したのだが、この時はまだ知る由もなかった。
お社をお焚き上げしたあと、曾祖母が信心していた大麻止乃豆乃天神社に行かなければならない気がしたので、行ってみることにした。
そもそも何の神様なのかも知らないので、調べてみると、櫛真智命を祀っているらしい。櫛真智命がどんな神様なのか、ウィキペディアを読んでいても頭が混乱するのだが、端的に言うと「太占」を司る神様なのだそうだ。
「太占」
フトマニと読むことすら知らなかったが、この文字を見た瞬間になぜだかわからないが鳥肌が立った。
自分がどうして反応したのかが分からないけれど、なんとなく太占とは今後も縁がありそうだと感じる。
神社はうちから電車で数駅のところにある。
鬱蒼とした木々の中、ひっそりと目的の神社が鎮座していた。
神社へと続く階段の途中に、お寺とお墓があったせいだろうか。
重たくどんよりとした空気が、自宅にあった朽ちたお社と重なる。
曽祖母の暗いエピソードのせいだろうか、それとも険しい顔つきのせいだろうか。この神社にも、同じような類の印象しか持てなかった。
清らかさや、神々しさといった明るさには程遠い。
一言で言うと、「暗い」。さらに付け加えるならば「重い」。
お社の発しているエネルギーなのだろうか。
それとも、この神社に邪気のようなネガティブエネルギーが集まってきているのだろうか。
お社から発しているエネルギーに、なにかネガティブなエネルギーが何層にも覆いかぶさっているような、なんとも言えない居心地の悪さを感じる。
太占のエネルギー自体が、それほど軽やかなエネルギーではないのかもしれない。
曽祖母を投影して見ていたから、重たい感じがしたのかもしれない。
「太占」が妙に気になりながら、境内を後にした。
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