時には開き直りが肝心(かも)

気がついたら新年度。
日本でいえば新生活のシーズン。

うちの会社は偶然、経理が外注だったりいろいろする関係のせいか昇給発表などを兼ねるパフォーマンスレビューがついに4月開催に。新学期なのかな。

1月分の給料から反映するから今月のお給料は乗せ乗せらしい。細かい有休消化とか病欠の分はもちろん毎年スルー。どんぶり勘定でも会社ってまわるんだよなぁ。

しかし希望していた額を上回る程度には昇給もして、世間一般では今年は3%の昇給をもらえていたらいいかんじらしいが私の場合は15%だった。
※そもそもが低すぎていたのであまり喜んではいけない気がする

その私の昇給を私のために勝ち取るべく、社長とめっちゃネゴったという直属のマネージャー氏。彼は変わらずマネジメントには興味ナシ。大事な手駒を手放したくはないが自分もマイペースに働きたいてきな。

今年もまた、KPIのない1年が始まります。

もうすぐ就労ビザをもらって1年が経つので折り返し。
あと1年、ビザが切れるまでの間に今の語学学校を終わらせて、できたら専門学校も通い始めたい。スウェーデン語極めたい。極まってないままでふよふよしている今が一番つらい。

ゆくゆくは転職したいし、そのためには割り切って働きながらきっちり勉強もする。

家庭のことも開き直って。

最近SMAPのセロリって曲が頭の中でずーっと流れてた。
私と相方、育ってきた環境が違いすぎて。

そして、性格曲げてまで気持ち抑えてまでこの暮らしを続けたい、わけではない。
※セロリそのまんま。

だから、気遣いとかやめる。余分なやつは。

だいたい、相手の喜ぶ顔が見たくてすることの大半が自己満足だと思う。
喜ばれなかったらがっかりする自分がいる。
日本人だったら嘘でも喜んだ様子を見せてくれるけど、スウェーデン人はそんなことあんましない。

これからは、行動の理由は自分にしようと思った。

どんなに相手に幸せでいてほしくて努力したって、物事は思い通りに進まないし、自分が一生懸命に考えて用意したことを、自分が思ったように相手が幸せに感じてくれる可能性は極めて低い。

主観が入るからだ。

特に私のようなお気楽思考だと、そこに自分の幸せも上乗せしてしまう。その自分の幸せも、相手もきっと幸せに思ってくれるに違いないと思えてしまって、計算が狂う。あとでけんかになって、感情的な話し合いと涙という代償を払う。後味が悪い。じゃあ、始めなければいいんだなぁ、って。

日本に行くことだって、母はきっとこうしてほしいかな、兄はこうかな、父もこう思うんだろうなぁって、いっぱいある。でも他人はいつも自分の思い通りにはならない。ましてや日本人はそうそうに本音を話してはくれない。というか、スウェーデンに長く居すぎた私には本音と建前の見分けが昔より難しくなった。

この、日本の良かれと思ってとか、察する心の文化を忘れかけていながらも、スウェーデンのような自立主義、個人主義、自己発信主義にも染まり切れていない宙ぶらりんさはそこそこにしんどい。たまには中間地点のポーランドになんか行きたくもなるわけだ。

とりあえずは親家族には本音を伝えたし、相方には毎日なるべく思ったままを伝えるようにしている。今週はじめました。

これで少しは物事が良くなると良いなぁ。

しかし、いつになったらまた実家に行きたいと思えるんだろうか。


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