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オリンピックは誰のため
今回のオリンピック、なんだか炎上している?
ドイツで生活している私は日本のオリンピック情報はインターネットで得るしかないのだが、ヨーロッパではYahoo!ニュースは見れない。
そのため私が見るのは自然とXなどのSNSになる。
メダル獲得の話題はすぐに通り過ぎていくのに、トレンドに上がり続けていたのは不正審判や差別に関することだった。
この媒体ではいつものことかもしれないがそれでも何だか物騒だ。
人間、憤りや悔しさなどいわゆるネガティブな感情の呟きをしばらく見ていると、感情がそれに寄せられたり、なんなら移ることだってある。
良い情報を選んで見ればいいのに、不正だとされている映像を見て一緒に憤り、批判対象の選手や審判などのことも調べてしまった自分がいた。
不正とされてる試合後に話題になっている呟きは、今度はフランスについて。
もちろんポジティブなことではなく、街の汚さや川の汚さについてなどだ。
まあ、振り返って見ても確かにセーヌ川は泳ぐところではないだろうとは思うが・・・。
SNSでは、批判のきっかけとなる出来事が起こる、一旦火がついてしまうと
当事者の「落ち着いて」の声は全員には届かない。
批判に乗じて、それぞれ自分の心に奥底に眠っていた怒りや悲しみを自分の経験に乗せて、そしてまた広がる。
そこに共感した人がまた自分の傷口を見せる。
そして私のように、ただの傍観者だけど開示者の気持ちの強さに引っ張られ、動揺する者がいる。
私が今回のことに数日間反応してしまっていたのも自分自身がフランス、ドイツで生活していて差別された経験、傷ついた経験があったからだ。
そしてそこに着目してしまうと過去の被害者感情が刺激され、また怒りにつながる。
現実に、現在進行形では誰にも何もされていないのに、だ。
オリンピックの主役は尋常ではない努力をして本番に臨んだ選手たちだ。
一番嬉しいのも、そして悔しいのも、彼ら自身だ。
私たち観客は、彼らの技術や、一瞬の隙もないハラハラ感に興奮する。
彼らの瞬間瞬間の輝きを目にするのが素晴らしいのであって、憤るためのものではなかったはずだ。
東京オリンピックでボランティアも経験し、色々な話を見聞きしたので正直オリンピックに思うところはある。金や利権が動いていない、などとは到底思わない。
それでも、選手たちの努力に、それ自体に嘘は全くない。
それが穢されるようなことはあってはならない。
ただ私にできることも何もない。讃えて応援することだけだ。
そして私も、差別された経験は確かにあるが、書いているうちに優しい人たちと過ごした時間のことのほうが多かったということを思い出している。
怒りの感情が強い津波だとしたら、この作業は砂浜で素敵な貝殻を見つけるような感じだ。
そこらじゅうにあるのに、たまにある大きいインパクトに流されてしまう優しい思い出たち。
いつだって寄り添ってくれる心底優しくそして繊細なフランス人の友達のこと、日本が好きで日本語喋れるようになった笑いの沸点が低いドイツ人の友達、アパートの入り口でいつも日向ぼっこをしていて、私に話しかけてくれる可愛いおじいさん。
デンマークで私が訪れることを待ってくれている愛情表現豊かな友達夫婦、いつフランスに戻ってくるの!と連絡をくれるカラオケ好きなフィリピン人の友達、愛らしいお子さんの写真を定期的に送ってくれるおおらかなスイス人の友達。
書いていて、優しい気持ちにフォーカスできるようになった。
少しは整理できてよかったと思う。
オリンピックのことは実家の家族や友達に聞こうと思う。
多分そのほうが、今の私にとっては良さそうだ。