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アマテ・ユズリハ(マチュ)を自分なりに掘り下げて語る ~関係性編(後編)~【機動戦士Gundam GQuuuuuuX】
この記事は【後編】です。前編は↑からどうぞ。
後編では主にマチュと他者の関係性、特にメインキャラのニャアンやシュウジとの絡みなどについて書いていきます。
マチュと他者の距離感について
劇中の描写を見る限り、マチュは他者との距離感の詰め方が独特です。
ニャアンの項でも書きますが、彼女はマチュと同い年の女の子で、マチュにとって非常に強い非日常の匂いがする存在でした。密輸品やスマホの件とはまた別に「なぜこんな女の子が?」と興味を持ったはずです。
マチュは「キミ、テロリスト?」などとあっけらかんと尋ねるあたり、これっぽっちも彼女を恐れていない。あっさりワナに引っかかったり、軽業に翻弄される彼女を見れば、大した脅威ではないと判断するのも当然かもしれません。
この後に密輸のクライアントのことを知り、スマホの弁償もそっちに回せるなと思った時点で、もうニャアンに悪意は持っていません。まるで友達同士がそうするように2人で並んで歩き、むしろそれなりの好感を持っているようです。非日常への期待と、悪い子ではなさそうという感触が相まって、そんな態度に出ているのでしょう(もっともニャアンの方は、クラバ前の想像愛媛みかんでマチュを『こいつ』呼ばわりしてるので、だいぶ壁がありそうですね。昨日の今日ならそれが普通だけど)
カバネン有限公司では、ニャアンの失態を責めて怒鳴り散らす半グレ達を、怖がったりする様子は微塵もありません。それどころか、彼らが立っている脇の狭いところを無理やり通るなど、めちゃくちゃ無遠慮な様子を見せます。しかも彼らの事情など一切無視して、急に「宇宙って、自由ですか?」と自分の興味を最優先した質問をする始末。
思うに、マチュは自分にとってどうでもいいと思った人間や、好感を持たない人間には基本的に興味が無いんだと思います。
世の中には自分が傷つくのを恐れるあまり、他人の顔色を窺って誰にでも良い顔をしようとする人がいます。どうせ誰も見てやしないのに、周りの人間すべてが気になって仕方ない。
マチュはその正反対です。反骨心の理由でもある『自分』の軸があまりに強いがために、他者におもねることなどしないし、流されることもない。
とはいえ、それが困ってる人間であれば見過ごせない程度の正義感はあるようです。むしろ軍警への態度からしても、積極的に介入するくらいの行動力があると見て良さそう。ニャアンを罠に嵌めた鮮やかな手口からして、彼女は荒事慣れしてる説もありますしね。学校でイジメの仲裁とか、教師の悪事を糾弾したりとか、そういうことしてそう。もしそうなら、女子校の王子呼ばわりも納得できる。
閑話休題。
一方で、一度好感を持った人間相手にはグイグイ行く傾向もある。出会ったばかりのニャアンの苦しみに呼応して軍警に立ち向かった一件など、その最たるものでしょう。
シュウジに対してもそうです。始めはキラキラへの憧れを契機に彼と出会うことになりますが、得体の知れない彼にもすぐに順応します。しかもクラバの時には、もう彼のことをマブ(マブダチの方)呼ばわりです。アーセナルベースのレアカードでは、シュウジに上目遣いで楽しそうに話しかけるマチュが描かれています。かわいい
良く言えば、誰とでもすぐに仲良くなれる娘、ということなのかもしれません。
なんでそんな距離感バグってるの?
これについては、2つの理由が考えられます。
彼女があまりにも『子供』だから
彼女が他者の心を読み取れる『ニュータイプ』だから
中立地帯サイド6で良いとこのお嬢ちゃんとして裕福に育った彼女は、外の世界の『現実』を何も知らない。だから怖いもの知らずというか、世間知らずの子供なんですね。
ニャアンが常に何かに怯えたような態度を取っているのは、難民としての警戒心を持って生きてるからです。カバネン訪問時も随分ぎこちない態度でしたが、相手が警察から隠れて非合法の賭けバトルやってるような連中なら、それが当然です。何も知らない大泉洋マチュの恐れ知らず過ぎる態度の方が些かおかしいのです。
第2に、彼女は子供にして『ニュータイプ』です。ニュータイプは他者の心の機微を読み取り、本人の望む望まないに関わらずソレを受け取ってしまいます。
例えばシャアとシャリア・ブルは、2人でワインを交わすシーンにて互いに『心を読める』ことが分かっています。
マチュは幼く、おそらく素養だけなら2人を凌駕するレベルですが、さすがにまだそこまでの能力は無いと思われます。この人はモヤモヤするとか、この場所はげっそりするとか、うまく言語化できないけど抽象的に察せるレベル。『よく分かんないけど何か分かる』ってことですね。
ただ、彼女が小さい頃からニュータイプで、無意識の内に『他者の心情を人より鋭敏に察する』ことができているのだとしたら。他者の心に『どこまで踏み込んでいいか』を本能的に判断できるのであれば、物怖じすることなくグイグイ他者のパーソナルスペースに入り込んでいく行動にも納得がいきます。これもまた、アンキーが言うところの『間合いが分かってる』が表す事象の一つなのでしょう。
そうやって人間関係が『分かってしまう』のであれば、この歳で世渡りが空虚に思うこともあるかもしれませんね。
ここでも、マチュの反骨心の醸成にニュータイプ能力が関わっている可能性が見て取れます。
マチュ×ニャアン
マチュについて最も印象が変わった点はパーソナリティ編に書きましたが、もう一つ大きく変わった点が、ニャアンとの関わりの中にありました。
それは改札の一件でニャアンが落としたデバイスを手に入れ、スマホでその正体を調べた時です。
「非合法の……密輸品だ!」
明らかに、何かの始まりを直感した声色!
ヤバいもの拾っちゃったどうしよう、なんて焦りも困惑も無い。むしろ渇望していた『自由』への扉のカギを手に入れた、その喜びに満ち溢れています。
物語の始まりは改札で立ち止まった時かもしれませんが、マチュの中で何かが大きく動き始めたのは、間違いなくデバイスの正体を知ったこの瞬間でしょう。
この後ニャアンをワナに嵌めた末恐ろしい手口は、シンプルにスマホの弁償を迫るためだと思っていました。
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勿論それもあるでしょう。しかし前述したマチュの嬉しそうな声を確認したら、マチュは絶対にこのチャンスを逃さないぞという、確固たる意志で神社に来たんだと考えざるを得ません。
とはいえ、相手が屈強な男性とかだったら、ここまでワナを仕掛けたかなという気もするんですよね。
マチュは学校の体育や軽業こそ得意のようですが、怒りに任せ直接的な暴力を振るったことは今のところ一度もありません。だからカミーユと一緒にすんのやめろマジで。
警察に追われるような犯罪者の成人男性と、面と向かってケンカにでもなったら、さすがに分が悪い気がします。彼女自身、そこの『間合いは分かってる』のでしょうね。
改札で数秒だけ目を合わせたのが、自分と同い年くらいの女の子だった。これもニャアンに興味を持ち、接触しようと思ったキッカケの一つだったんじゃないでしょうか。
『持たざる者』ニャアンと『持てる者』マチュの対立
軍警戦後の自宅シーンで、マチュは母に「バイトしてる子もいるよ」って言うんですよね。これは学校の友達ではなく、直前に出会ったニャアンのことを指していると思われます。閉塞感に縛られている自分とは違う、どこか非日常に近い所にいる、そんなニャアンへの憧憬を込めた台詞です。
しかし、ニャアンは決して闇バイトをやりたくてやってるわけじゃない。親とは離れ離れ、まともな仕事は無い、学校にも通えない。だから生きるために仕方なくやってるのです。
それを考えたら、『持たざる者』ニャアンに対する、『持てる者』マチュの無自覚な傲慢さが垣間見えます。同じスペースノイドでありながら、両者の間には埋めがたい格差があることがよく分かる。
ジークアクスは正史ガンダムよりも濃い目に、一年戦争による宇宙難民問題にスポットライトが当てられています。何せメインキャラのニャアンが難民。これにまつわる何かしらのストーリーが展開される可能性は高そうです。
そうなった時、上述の『格差問題』が二人の対立を招いたとしても不思議ではありません。マチュの方は仲良くできるでしょうが、ニャアンがどう感じるか……。
マチュとニャアンと主題歌『Plazma』
もし君と出会わなければ運命は違っていた。金網を越えて、それまで知らなかった世界を知ることもなかった。目の前をぶち抜くプラズマのような衝撃にも出会えなかった。
――という、ニャアンとの出会いによってマチュの運命が大きく変わっていく様を見事に描いたような熱い歌詞ですが。
改メ口の中くぐり抜け肌を突き刺す粒子
路地裏の夜空に流れ星 酷く逃げ惑う鼠
ここなどあからさまに不穏ですよね。ガンダムの世界で『流れ星』ときたら巨大兵器やビームの類を連想して当然です。スターダストメモリーです。逃げ惑う鼠なんて、露骨に民衆の比喩。
まぁここも気になるんですが、次の
あの日 君の放ったボールが額に当たって
倒れる刹那 僕は確かに見た
ネイビーの空を走った飛行機雲を
これが愛だと知った
この部分が、私にはニャアンとの別離を表しているような気がしてなりませんでした。
ボールなど諸々の比喩が何を指しているかは今のところ不明ですがあの棺桶じゃあるまいし、ニャアンからマチュに対して何らかの拒絶があり、そこでマチュはニャアンと離れたことで、初めて彼女のことが本当に大好きだった(これはLoveではなく、かけがえのない友達くらいのニュアンスだと思う)ことに改めて気づく、みたいな。
『ミッドナイトリフレクション』も全体的に悲恋と別離、それでもまだ君を忘れられない……そんな切なさを描いた歌詞に読めます。
流れた場面があの神社ですから、これもマチュとニャアンの別れを暗示しているような気がしてなりません。ただの妄想、考えすぎなら良いのですが。
しかし、そんな暗澹たる運命を乗り越え、立場を越え、2人が友情を築けるとしたら。
これこそまさに、人と人が誤解無く分かり合えるニュータイプの一番美しい有り様ではないでしょうか。
何だかんだ言って、2人は互いの立場を越えた友情を持ち続けてほしいものです。
年頃の女の子らしい楽しみを持てないニャアンをショッピングに連れ回すマチュとか、そういうのめっちゃ見たい。
マチュ×シュウジ
マチュは軍警戦の翌日の学校で、クランバトルに参加せざるを得ない状況に苦悩しています。
この時、「赤いのと一緒なら怖くないのに」とぼやく。カバネン有限公司の屋上で、赤いガンダムに守られた時のことがよほど印象的だったのでしょう。パンフレットによれば、ゼクノヴァ以来ふたたび現れた赤いガンダムとエグザベが交戦した際、あの時も赤いガンダムに乗っていたのは間違いなくシュウジのようです。
あの改札で立ち止ったことからつながった、ガンダムとの運命的な出会い。マチュにしてみれば、モビルスーツ戦を間近に見ることさえ初めてだったはず。圧倒的で暴力的な存在感を目の前に恐怖し、しかし攻撃の余波から守られた時は「私をかばってくれた……?」と、力強さの中の優しさに惹かれたことでしょう(「一緒なら怖くないのに」とまで言うくらいだもの)
「戦え、とガンダムが言っている」
シュウジはすでにキラキラの向こう側を見てきた者です。それをわざわざグラフィティに描くのは、マチュのような同志に出会うためと考えられます。
そしてついに現れた同志・マチュを嗅ぐ。
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ニャアンも嗅いでますが、こちらはマチュと比べサラッと流した描写なのが気になります。彼女はニュータイプではないのかも。
シュウジはマチュを向こう側=刻に導こうとしていると考えられます。
向こう側とは正史ガンダムの世界なのか、アカシックレコード的な何かなのか。まだ分かりませんが、ともあれニュータイプ達が行くべき場所なのでしょう。人の革新が行き着く場所。かつてファーストガンダムで、ララァが行き着いた場所。ガンダムUCでフロンタルがバナージに見せつけたもの。ララァの方も逆シャアで、アムロとシャアを刻に導こうとしていた節があります(それをアムロはエゴと断じ、さらにシャアは否定しろとひでぇこと言ってましたが)
シュウジはガンダムの妖精だけにガンダムの要請を受け、『戦え』という言葉を代弁します。これは、赤いガンダム搭載のアルファサイコミュを通じて届けられてくる、「向こう側の何者か」の意思を代弁してるんだと私は思っています。(何者かは、やはりララァ? それともシャア……?)
なぜマチュを戦わせるのか。それは、マチュを極限状況に置くことで、ニュータイプ能力により磨きをかけるためと考えられます。
マチュは命の危機に瀕した時=極限状況に陥った時、ニュータイプ能力が研ぎ澄まされ覚醒し、キラキラ(刻)を見ることが作中から分かっています。これがより鋭敏になれば、ゼクノヴァを起こしたり、向こう側にすら到達できるのかもしれません。
戦場でよりニュータイプ能力が成長していった例は、過去にもたくさんあります。あのアムロ・レイからしてそうでした。オールドタイプながら戦い続けて覚醒しかけるも、人と分かり合うより戦い続けることを選び、野獣の本能で覚醒を押さえつけたヤザン・ゲーブルのような例もあります。
果たして『戦うこと』の味を覚えたマチュは、どう転んでいくのだろうか……?
マチュにとってのシュウジは、キラキラに関わる=『外』へ飛び出す可能性を与えてくれる存在。会って間も無いのにマブ(マブダチの方)と呼べるくらい、そして死にたくないと思った瞬間に思わず縋ってしまうほどには信頼してる相手です。
一方で、クランバトルの時の「近くにいるよ」は果てしない優しさを感じさせると同時に、そのままどこか遠くへマチュを連れ去ってしまうのではないか……そんな怖さも感じさせます。
シュウジがマチュを連れて行く者だとしたら、地に足つけて必死に生きてるニャアンは、マチュを人の世界に留める者ではないか――という他人の考察も見かけました。これ、ありそうな気がします。
前述したニャアンとの別離があり、一時はシュウジと行くことを選ぶも、やっぱりニャアンとの和解を経て戻って来る(ミネバのために戻ってきたバナージのように)――そんな妄想をしてしまいました。
強い『自分』を持つマチュ、それが薄いシュウジ
シュウジはスタッフから『ガンダムの妖精』呼ばわりされるくらい、浮世離れしています。空腹なのに絵を描くことを優先して。全財産のコイン一枚を闇バイトの支払いに当てて。一体どうやって日常生活を送っているのか、全く謎です。
グラフィティで仲間探し、モビルスーツ起動のためのデバイス探し、ガンダムの意思の代弁……それら自発的に行っているように見える動きは、自分でなく、まるでガンダム(あるいはそれを通した何者か)のために行っているようです。操られているとまでは言いませんが、取り憑かれているとでも言うのでしょうか。キラキラの向こう側を見たことで、精神的に何か人間離れした変化があったように見えます。
しかし、クランバトルでピンチに陥ったマチュを支える優しい声、彼女の叫びに呼応して連携する力強い声は、正しく『本物のマブ』そのもので、彼の明確な自我を感じさせるものでした。印象論ではありますが、これが何者かに言わされた言葉とは私には思えなかったです。
また、アーケードゲーム『アーセナルベース』の彼のボイスは、聞く者を寒からしめる怜悧さがあるそうです。それはマチュに対する優しげ・儚げな対応とはまるで異なります。
つまるところ、シュウジは誰かに言われたことだけやってるわけでなくて、きちんと自分は持ってるはずなんですよね。どういうわけか、とっても希薄だけど。
仲間と思った人間を大切に思う心もある。
こんなシュウジとマチュを組み合わせると、どこか対称的で面白いなと思うのです。
マチュは他者に流されず、自分の求めるモノに対して非常にまっすぐな、我の強い少女です。実際、シュウジをクラバに誘ったのはマチュの方でした。
対するは、やたらとガンダムの代弁ばかりして、自身の意思が希薄なシュウジ。
マチュ「ガンダムが、じゃない。シュウジはどうしたいの? キミ自身の気持ちを聞かせてよ」
我の強いマチュが、自分の意思の希薄なシュウジを引っ張っていく、そんな展開見たくないですか? 私は見たい。
クラバではシュウジが助けてくれてる分、終盤とかで逆にマチュが彼を助ける、こんな台詞聞けたらめっちゃアツいでしょうね。
青春ガンダム『ジークアクス』はどうなるのか
いまSNSでシュウマチュorマチュニャアが熱い。
ジークアクスは青春ガンダムでもあるんですよ。宇宙世紀ifがどーのとかニュータイプだとか緑のおじさんだ赤いアイツだと早くも議論がお盛んです。いや俺もガンダム好きだからそりゃ分かるんだけどさ。勝利者などいない死屍累々の戦争ドラマに乳臭ぇガキどものわちゃわちゃ青春劇なんざ求めてねぇんだよって言いたい気持ちも分かるんだけどさ。
でも一番気になるのはここなんだよな。
ここまで色々書きましたけど、私はとにかくこれが見たいのです。マチュとニャアンとシュウジ、たまにクランバトルやりつつ普段は3人で仲良く青春してくれないか。
パンフレットでも三人の日常を書きたいという旨を語ってますし。アートワークスにはニャアンとマチュが私服で並んでる絵などもありますし。シュウジはメシ食ってる絵がちょいちょいあるし。
難民ゆえにマトモな暮らしのできないニャアンと、自我が希薄でぽやぽやしてるシュウジ。
そんな2人を連れ回せるとしたら、それはもちろん一番普通のJK生活を満喫しているであろうマチュでしょう。ショッピングするも良し、カフェに入るも良し、(コロニーにあるのか知らんが)テーマパークの類に行くも良し。
私は見たいよ。そんな3人が。
ただ正直に言わせてもらえば、現時点での印象ではシュウマチュはいささか拡大解釈かなぁと思ってます。頭嗅がれた時の反応は、いきなり知らない男子にあんなことされたら誰だって真っ赤になるしマチュ裂き光輪のポーズくらいするでしょう。
まぁ、こういう妄想は楽しめる内に楽しんどくのが正解ですから、水差すもんじゃないんですがね。かわいいし。
シュウマチュFAはマチュの恋する女子高生らしさ全開なイラストが多くて非常に癒されます。
マチュはお嬢様学校通いですから、同年代男子との触れ合いも普段はほとんど無いのではないでしょうか。かと言ってポメラニアンズ男性陣とのやり取りからするに、別に男性が嫌いとか苦手とかそういった様子は一切見られません。メンバーの一人・ケーンはマチュに赤面したりするらしいので、ケーン→マチュな場面とかは今後あるのかも。マチュが彼の眼前で平気でパイスーに着替えようとしたり、はしたない座り方して色々見えそうになって「おお、お、お、前そういうのやめろよ!」みたいな。もちろんマチュは「……なに?」って感じで一切気にしない、と思う。
あの公衆の面前でぱんつ丸出しになっても一切気にしないマチュが、赤面した相手は今のとこシュウジだけです。出会って大した時間が経ってない彼を、躊躇無くマブと呼ぶほど信頼もしているようです。
彼女にとってシュウジは『気になる男の子』なのか。あの勇ましいマチュが彼の前でだけは何故かしおらしくなってしまう所が見たいか見たくないかで言えばめちゃくちゃ見たいですが、解釈違いのような気もして、心が2つある状態です。
ただ、シュウジがララァに相当するような存在だとしたら――ちょっと先行きが怪しいな。ガンダムをあまり知らない視聴者には特に衝撃的な展開が待ってるのかも……。
『青春』と隣り合わせの『戦争』という現実
そして正直なところ。
ガンダムに関わってしまった以上、もうマチュは普通の青春を過ごせないんだろうなぁという不安は拭えません。
ジークアクスの世界では、ジオン公国が地球連邦を完全撤退させたため、おそらく宇宙での勢力図はジオンが優勢であると思われます。その支配者たるザビ家、生粋の宇宙移民至上主義者であるギレン・ザビも生き残っているのです。地球潰しのためならばスペースコロニーの住民数千万を毒ガスで虐殺、空っぽになったソレを地球に落として人類の半分を死滅させることさえ躊躇わない狂人が、未だ権勢を振るっているのです。サイド6は難民が流れ込んできてる程度で済んでいるだけ、まだマシなはず。
マチュが外に、本物の宇宙に飛び出していこうとするなら、どうしたって、そんな世界情勢という『現実』とは無関係ではいられない。まだ何も知らない子供が、ただの女子高生に過ぎない彼女が、クラバに勝った程度で少し舞い上がってるような女の子が――現実という壁に直面し、打ちひしがれるような展開も覚悟した方が良さそうです。でも、彼女は根っこが強い。きっと立ち上がってくれるはず。今は仲間もいるのだから。
宇宙世紀で青春をやろうっていうなら、この現実は避けて通れないでしょうね。
与太話 アマテ・ユズリハとクェス・パラヤ
『マチュ=ジークアクス世界におけるハマーン・カーン説』が、ジークアクス放映前から今に至るまで、妙に取り沙汰されます。誕生日とか、符合する部分が多いからでしょうか。正直こじつけ臭さが否めませんが。
ただ、マチュと関連して語るならば、ハマーン以上に気になるキャラがいます。
マチュのように裕福に育ち、強力なニュータイプ能力を持ったがゆえに人とズレた少女に育った……というニュータイプ、宇宙世紀に心当たりがいます。
ジークアクスの舞台UC0085年時点で5歳、正史では8年後の『逆襲のシャア』に登場するクェス・パラヤです。
彼女は、道を踏み外したマチュと言っても良いかもしれない存在です。
政府高官の父を持つ裕福な家庭生まれではあるが、その父親は高慢かつ臆病で虚栄心にまみれた情けない男。母親は家庭を捨て行方知れず、父の愛人との仲も険悪です。
幸か不幸か、クェスは地球生まれにも関わらず、生まれつきニュータイプの素養がありました。人より遥かに高い感受性を持つ幼少期の彼女に、この悲惨な家庭環境はどれほどツラかったことでしょうか。長じて汚い大人を徹底的に嫌い、父性に飢え、不良仲間とつるむ跳ねっ返り娘に育ちます。
ニュータイプとしての感受性は非常に鋭敏で、人が多くいる場所では不快感を示すこともありました。
劇中で宇宙に上がってからは、瞬く間にその才能を開花させていきます。数回乗っただけでモビルスーツをベテラン軍人並に乗りこなし、サイコミュ兵器も我が物にする戦闘センスを発揮。シャアにニュータイプ専用モビルスーツを与えられ、戦場を蹂躙しました。
マチュは自分の信念に沿わないモノへの反骨心がありますが、根が良いとこ育ちで普段の反抗もかわいいものであるマチュに対し、クェスのそれはマチュの比ではありません。
あまりにワガママでエキセントリックで自由奔放な性格で、最初は成り行きでアムロのいる連邦に近付いたと思ったら、アムロの恋人が気に入らず痛罵し、シャアと出会うとあっさり鞍替え。そこでもシャアの愛人に対する嫌悪感を全く隠さない。
また、荒んだ家庭環境から父性に飢え、アムロやシャアにそれを求めてしまいました。アムロは父親代わりなど出来ないと大して相手にしないし、乗り換えたシャアは使える駒の一つくらいにしか思っていない。
その末路は悲惨なものでした。
クェスもマチュのように家庭環境さえマトモならば、両親から惜しみない愛情を受けていれば……モビルスーツに乗せられることもなく、学校のプールで逆立ちするくらいの反抗期娘で済んでいたかもしれません。
いかにマチュの家庭環境が恵まれているかという気がします。彼女の母親は本当に愛情深いお母さんのようです。父親はまだ存命であること以外よく分かりませんが、今のところマチュが父性に飢えてるような描写は無い……。
家庭環境に問題あるニュータイプは他にも大勢いるものの、やはり育ち方次第で人は大きく変わるようです。
ちなみにクェスは地球生まれ地球育ちたまにインドで、スペースコロニー・ロンデニオンの見事な自然環境をシャトルから見て「これを見たら人の革新だって信じられる!」と大いに感激していました。
一方のマチュは、コロニー生まれコロニー育ちで、その環境を偽物と嫌っています。
こんなところも対称的ですね。
終わりに マチュ達の運命に幸多からんことを
「昔さ、ニュータイプって、モビルスーツに関してはスペシャリストがいたよな。そういうのって大概、個人的には不幸だったんだよな?」
オメガサイコミュを起動し、圧倒的な戦闘センスを見せつけたことで、マチュがシャリア・ブルに目をつけられるのは確定的です。そうでなくとも、『ガンダム』に関わった以上は、もうそれまでの人生には戻れないでしょう。
マチュがニュータイプ能力なんて持たない、本当の意味で普通の女子高生だったら、幸せに生きることができたかもしれない。
もしも改札の前で立ち止まったりしなければ――なんてことにならないでほしいと、切に願います。
むしろそれが良かったのだと。
過去、多くの人間達を戦争の運命へと翻弄したニュータイプ能力が、マチュにとっては祝福であったのだと。
せっかくこうして過去から解き放たれた、新たなる宇宙世紀を作り始めてくれたのです。そこまでして語られる物語が、結局はニュータイプが人の革新に辿り着くどころか不幸になる、一人の女子高生を闇に突き落とすような話であってほしくはないかなぁ……と、個人的なワガママを言いたいです。
ビジュアルのかわいらしさは元より、こんなにも未熟で危うくて見ていてワクワクもゾクゾクもする、心にブッ刺さったキャラクター造形は本当に久しぶりです。
彼女の、そしてニャアンとシュウジの活躍を、早く本編で見たい。
楽しみにしております。