真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任
本の紹介です。
「近衛文麿」は共産主義にかぶれ、昭和天皇に不敬を働いていました。
「近衛文麿」が真の戦犯です。東條英機はいわばスケープゴートでしょう。
その「近衛文麿」は不敬にも「昭和天皇に対し自死を求めていた」ことはあまり知られていない。
「近衛文麿」は共産主義者だった「河上肇」や「米田庄太郎」に共鳴し、共産主義に傾倒していきました。
共産党の工作員「尾崎秀実(1941年10月15日逮捕)」の盟友であり、同じく共産主義者であった「西園寺公一」「風見章」とも盟友である。企画院事件で逮捕された「稲葉秀三」「勝間田清一」「正木千冬」「和田耕作」などが、最側近でした。
その「近衛文麿」は、対中戦争、対米英戦争、南進(北進、対ソ線ではなく)に邁進します。
「近衛文麿内閣(1937年(昭和12年)6月発足)」が決定したこと
1937年(昭和12年) 7月 北支四個師団派兵 日支(日中)戦争の開始
1938年(昭和13年)11月 東亜新秩序 声明 (中共成立まで)日支戦争の永久化
1940年(昭和15年) 8月 大東亜共栄圏 発表 対米英戦争の準備宣言
1941年(昭和16年) 7月 対米英戦争を辞さず 御前会議にて
1941年(昭和16年) 7月 ソ連には侵攻せず 御前会議にて
1941年(昭和16年) 9月 6日 対米英戦争を決定す 御前会議にて
1941年(昭和16年)10月15日 尾崎秀実 逮捕 共産党の工作員(近衛文麿の僚友)
1941年(昭和16年)10月18日 東條英機首相 就任 すでに対米英戦争決定済み
1941年(昭和16年)12月 8日 太平洋戦争開戦 近衛文麿内閣で決定した戦争開戦
近衛文麿が、ソ連との開戦を避けて、北進ではなく、南進(対米英戦争)に傾倒し、決定し、準備しました。
対米英戦争を仕向け、1941年9月6日、開戦の決定をしたのは 近衛文麿です。
東條英機(1941年10月18日首相就任)では、開戦までのわずか2ヶ月で、
戦争の準備をして突入出来るわけが無いです。