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同じ傷を受けた人間でないと結局は分かり合えないというお話
ここ数カ月、ENTPの男の子とやりとりをしていた。
彼は面白い。私の知的好奇心を満たしてくれる。私が知りたい内容について方向性を教えてくれるし、感性も考え方もヘンテコで、変わり者好きな私はそんな彼に興味津々だった。
↑この記事にも出てくる子です
それでも徐々に、彼との間に違和感を感じ始めた。
まず、私はいわゆる「雑草」的人生である。
幼少期に親は離婚しているし、引っ越しも数回しているし、アタッチメント不足による非認知能力の欠如のせいかいじめられることも多かった。中学生の時にはデカい500円ハゲができ、今考えればうつ病、対人恐怖症、醜形恐怖症、なんかもう負のオンパレードだった。祭りだよワッショイ。
(それでも今はそんな人生ひっくるめて自分のことが好きだからいいんだけどね!)
彼はいわゆる「文化的資本」に恵まれている人生である。
東京生まれ東京育ち、悪そうなやつらは大体友達…かは知らんけど、悪そうな奴らではなくてもいわゆる文化人的な人とは大体友達だと思う。
卒業大学を聞けば合コンでは女子が目を変えるタイプの人間。けっ、学歴なんてその人を保証するものではないのにねえ。エリート層にモラハラタイプが多いパターンなんてあるあるすぎて胸焼けするわ。
私の、彼の好きなところは、有名大学を出ている人間にありがちな「勉強できない奴は底辺」的思想を持っていないところだ。
私が「勉強できない環境だったから勉強が楽しい、まあ今更なんだけどさ」という話をしても「物事を始めるのに遅いことはないっすよ」とあっけらかんと言うし、「論文の書き方知ってりゃ誰でも論文は書けます、いい論文を書く人間が知性も持っているかは別の話です」といって知識と知性をはっきりと区切っている。
ただ、ここで冒頭に戻るのである。
彼は文化的資本に恵まれている。人に理不尽に追い詰められて精神を病んだこともないし、筋の通らない話で屈服させられたこともない。ましてやそもそもの性別が「男」なのでその時点である意味では恵まれているのである。
一方の私。
数年前までモラハラ底辺男の影響で精神を病み(理由あって別れられなかった)、もう無理限界と別れたところ最後の最後まで裏切られ(後にも先にもここまで裏切られることはないだろう)、「非力な女」ゆえに力の強い男に逆らえずに「来世に生まれるなら絶対男、少なくとも力では世の半分に勝てるから」と一時期本気で思う程だった。
人生が違い過ぎるのである。
私は、電通に新卒で入ったのに自殺してしまった数年前の事件の、女の子の気持ちが分かる。洗脳は怖い。毎日「役立たず」と言われて、喜怒哀楽がどこかにいって何も感じなくなった経験を持つ私にはわかる。
でも彼は恐らく分からない。「嫌ならやめたらいいし労基に訴えたらいい」とおそらく言う。
EXITの兼近さんが前にメディアで言っていた話を思い出す。
「努力をしていない人間はいない、いるのは努力の方向性が違う人間なんだ。”警察に捕まらないための努力”をしている人もいる。もちろんそれが正しいというわけではない、でも彼らはそれしか知らない」(かなり要約)
世の中で「正しい努力」と評される行動をとるにはどうしたらよいのか。ありとあらゆるものが関係する。
恵まれた家庭環境? 文化的資本? 支えあう友達? 導いてくれる先生? 本?
なんなんだろうね。挙げるにはあまりにも多すぎる。
彼はよく「知識と知性は違う」という。
彼にとっての「知性」が何なのかは分からない。なんとな~く、博愛とかそういうもののような気もする。
私も、知識と知性は違うと思う。
では私にとっての知性とはなんだろうか。
それは「自分の知らない、見えない部分への想像や配慮ができること」だと思う。
雑草的な人生だったからこそ、世の中には低俗な楽しみしか知らず、驕った、詐欺的な人種がいる事を知っている。
そういう人たちに虐げられたり泣きをみる人達がいるのも知っている。
はたまた、そういう人種とは一生関わることもなく、いわゆる富裕層の生活を送る人種がいるのも知っている。その中には「成金的富裕層」もいれば「分限者富裕層(ノブレス・オブリージュ)」がいるのも知っている。
(※あえて「人種」と「人」を使い分けています)
さて、その中で社会は誰を正すべきで誰を助けるべきなのか。
そんな事を考えること自体、彼は無駄だというかもしれない。
私は無駄だと言いたくない。自分が虐げられてきた人間だから。
やっぱ私の人生のテーマは「愛に生きる」だと思う。
そして愛に生きるためには人格者にならないと、と思う。
「生身としての愛を知らない人間」が「頭で考えて愛を知ろうとする」のだから、難しい問題には違いない。
それでも人生をかけて考えるには十分に価値のあるテーマだ。
勉強楽しいな~。
同じ傷を受けた人間でないと結局は分かり合えないというお話
でした。