こどものことを熱く語り合ったって話。①
どうも、アラマキです。
つい先日、自分の誕生日やったわけですが、その時にあるお母さんと不登校と子どもについて語り合ったんでその時のことを書き記そうかなと。
学校の話。
学校ていう場所を苦手に思う子は少なくない。
実際、今回話したお母さんの子どもも不登校で学校が苦手だった。
不登校の理由は様々ある。
一般的に想像しやすいのは「友人関係」や「嫌がらせを受けた」とか。
あとは、何となく学校という雰囲気が受け入れられないとか学校というシステム自体が受け入れられないとか漠然無理だと感じる子もいる。
不登校の理由を一般化することは難しいし、する必要もない。
それぞれ違う人間だから思うことが違っても仕方ない。
それで、不登校に対する学校の対応。
お母さんの話では、子どもさんは保健室登校をしていた。
ただその時、「保健室にいって学校自体にはこれているのだからと教室に入れるはずだと」半ば強制的に教室に入れられたそう。
それから完全に学校への道が閉ざされた。
学校の玄関まで来れたら、保健室には来れるだろう。保健室に来れたらなら教室に入れるだろう。みたいな感覚になりたい気持ちはわからなくもない。
ただ焦ってはいけない。
実際、子どもがどれだけの覚悟をもって、学校という場所に行こうと思ったのか、学校の敷地をまたいだのか、学校の中に入れたのか。
そうした覚悟を持った前の日の精神状態はどれほど心労を患ったのか。
そこを考えなくてはならない。
「学校に行こうと思った」それだけですごい。
もちろん、学校に行くことが正義とは言わない。
でも、自分に何が必要でどうするべきかを考えたときに、「学校に行こう」と思ったのなら、それはとてもすごいことのはずだ。
まず、その子が何かしら自分で考えたことをほめなくてはならない。
自分で自分のことを思って考える行為、これが自立だろう。
もっと言えば、それを自分の言葉で他者に伝えることができれば、もう立派。
だから、「これができたらこれもできる。」
とかじゃなく。
「今、できたこと」を目いっぱいほめてほしい。
僕はそれを学校に求める。もちろん、すべての学校がそうできてないわけではないが。
また、学校以外の選択肢。例えば僕が行っているフリースクール。
学校が難しくてもフリースクールなら!と思う子がいる。
そうした子はぜひ見学でもなんでも行かせてほしい。
学校はフリースクールとかほかの施設に行かせたがらないこともある…
なぜ、そう思うか。
「フリースクールに行ったら、そっちが楽しくてもう学校には戻ってこないのではないか」
「学校でその子はどうにかしたい。」
あとは、今は学校に行っている(保健室登校や欠席が多い、早退が多い子)子に対しては
「今、学校にきているのだから必要ない」
と。
どちらも思うのは、学校でなんとかなってないから別の選択肢を考えるのであって…
自分がフリースクールなら勉強できそうとか、ちょっと外出てみようかなあーとか思えるっていうなら、そのほうがいい。
他人がとやかく言うとかじゃなく、自分で考えて自分で選択する。
もちろん、そこには責任がついてくる。
でも、他人に定められたことをするより、自分で選択した道を歩むほうが断然前に進みやすいだろう。
子どもが、自分が輝ける、自分が自分らしく過ごせるところを探しているのなら認めてあげなくては。
これらは学校批判ではない。
まだ、不登校というものを知っていないから起きることなのだ。
どれだけ子どもの気持ちに寄り添って話を聞いていくか。
子どもの我儘を聞くとかではなく。
もっと、広い視野で大人の事情とかじゃなく子どもを主体として物事をとらえていく必要があるのだろうと考えるのである。
アラマキ
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