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ネット上にはびこる誹謗中傷 -探求する旅路・随想編①-
息が詰まりそうな世の中だ。これが本当に人々の望む社会のはずはないと思う。
インターネットやスマートフォンなど情報テクノロジーやツールは、人々が公平に、経済的な負担をかけずにさまざまな最新情報へのアクセスを可能にしたし、出版という高いハードルを経ずとも個人の意見や日常の出来事を自分の言葉や写真を使って世の中へ直接発信することを可能にした。実際多くの人々が日常的に利用して、そうした恩恵は広く認められるところだ。しかし、残念ながら実情は良い面ばかりではない。誰でも使える容易性が時に災いしてしまい、特定の個人に向けた誹謗や中傷的言動が炎上して激しく当事者を傷つけたり、不寛容なメッセージが多種多様なこの社会を分断に導いたりする側面も併せ持つ点を、私はとても無視出来ない性分です。
いろいろな要因が絡み合うので一概に問題の原因を特定することは難しいが、ひとつの背景にはSNSなど情報ツールのリテラシー教育の欠如や遅れがあるだろう。
例えば運転免許を考えてみる。教習所に通い座学ではルール、実技では技能を学び、試験に合格しはじめて免許を手にして、重い責任を背負いつつ公道での運転は許される。フィジカルかメンタルかの違いはあっても、双方とも人間に対しては使い方を誤れば重大な危害さえ及ぼしうる道具な訳だが、ネット活用のルールに関してはいまの教育・啓蒙体制は十分と言えるだろうか?
ツール活用以前の根源的な問題もありと見る。幼少期からの思いやり意識に対する水やり育成など。他を想い労わる心が、人権意識の芽生え、そして醸成につながるところと私は思うのだが、次世代の育成に携わる親や先生やその他大人の当事者が、自分自身の人権尊重も充分に保障されない荒っぽいリアルの毎日に酸欠気味になって、運転時には良く言われる「心にゆとり」を持ち子どもへ接することを困難にしていると思いませんか? 大国の大統領候補や、自治体幹部とトップ、テレビの人気タレントなど、その言動や振る舞いの注目を集める人物がわざわざ率先するかの如く荒っぽい言動を行うこのご時世で、社会的に未成熟でなお助けを必要としている子どもたちは、どのように自らのロールモデルを見つけ、そして健やかな成長を目指せるのだろうか?
牙をむくような乱暴なスタイルのコミュニケーションの行く末に安寧はないと断言できる。良心を持つ市民の連帯が必要だ。労力も時間も要するとは思うが、革命的手段で真の平穏な社会がもたらされるものではなかろう。アラ還の人生節目をもうすぐに控え、子どもたち世代のための温かいより良い未来づくりの一端を担うべく、まずは無意識のうち彼ら自身を縛っている”魂”を解き放ってあげたい。紆余曲折・試行錯誤で長年備蓄してきた私の知恵を必要ならそっと教えてあげたい。そんな想いを巡らせる今日この頃です。
(2024.8.31 記)
[フォト:史跡 足利学校 方丈]
*記事とオリジナルフォトは特に関係ありません