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タイパのいま 読書はノイズなの!? -探求する旅路・随想編④-

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(三宅香帆・著)を「確かに…どうして?」と興味本位で手にした。それがこんなずっしり重い読後感になるとは! いまを時めく著者を失礼にも存じ上げずの初接点で「ただものではない」と姿勢を正した。文芸オタクと自称する著者は、まさにオタク界の鏡に間違いないと観念したから(笑)。人生まだ私の半分ほどの文芸愛好家が、周到に近代史探求を行って真相あぶり出しに説得力ある論説を展開する。

これから手に取る人の楽しみを奪わない程度に要旨を挙げれば「知識=ノイズ+知りたいこと」「情報=知りたいこと」と両者は異なり、新自由主義的な価値観が勃興した平成以降 自己決定権を駆使し人生の勝ち目を追う中、役立つ情報だけ摂取する行動形態をもたらした。ここでノイズとは「他者や歴史や社会の文脈」とのこと。働く現役世代に読書と距離が生じるのはその背景と紐解く。

合点がいく。読書以外で思い巡らしてみる。働き手予備軍まで含むが、SNSショート動画が好まれたり、ドラマ類まで高速再生したり、J-POPのイントロが簡略化されたりと、いわゆるザッピングへの最適化でいろいろ変化を遂げる現象もその論拠から説明はつきそう。侘び寂びとか味わう期待は始めからなく、肝の箇所だけスキャンすることで気は紛れる。ハードな仕事で神経が磨耗しても束の間(電車内も!)お手軽に楽しめ、日々のバズリも置き去りにされない。でもそんな感じを続け、いつか人生に はぐれてしまわないのか? 行き詰まって観念したとき 次に向けどう再起動を図るのだろう? 本の最終章とあとがきはネタバレを控えるので直接 提言には触れて欲しい。この落し穴から抜け出すなら待ったなしだ、マイ・フレンド!と声高に言いたい。理由は勢いづくAIにある。

テクノロジーは歴史上どの時代も功罪両面を併せ持った。AIもまた同様。人々に便利をもたらすだけとは行かない。たとえば労働市場なら私たちの競合相手として立ちふさがる。あちらは人間離れした成長曲線で我々は太刀打ち不可能でしょう。幸運(?)な少数派以外、いずれ淘汰される仕事から弾き出されるその時に、先の人生羅針盤をどこに見出すか? 文芸、映画、演劇、音楽、アート、スポーツ、歴史、旅、食……それらすべてを括り「文化」にヒントが潜んでいないだろうか? 文化を解し味わい語り合えることはAIの時代に於いても人間のアイデンティティであり続けるだろう。ならばその素養を備えて次の進路や食べて行く方法も必ずや見出せるはず(と自分に言い聞かす 笑)――だって人間社会を生きるのだから。ザッピング、もう止めにしませんか?

(2024.11.30 記)
[フォト:開成山公園]
*記事とオリジナルフォトは特に関係ありません

なぜ働いていると本が読めなくなるのか/三宅 香帆 | 集英社 ― SHUEISHA ―