DESIGN SKETCH 20240429 風の印


ある日について、その日がどんな日だったのか、我々はきちんと説明できるだろうか。

それが、何かの記念日だったとしても、ありふれた代わり映えの無い一日だったとしても、その日がどんな日だったか、我々は記憶できているだろうか。思い出すことができない一日もあれば、その一日の一瞬を鮮明に覚えているかもしれない。

一日は、常に流れる時を我々人類が区切ったものだ。よって、どの人類がどう区切るかで、同じ一日の流れの中においての位置は異なってくる。だから、人の棲む場所によって、一日の区切りはずれ、時差が生まれる。そして、流れを単に区切ったものだから、それ自体には、その日がどうであったか最初から紐付けられているわけでは無い。その日がどうだったか、我々は記憶と記録で様々な意味づけをし、その日が特有の日だったようにする。日付の数字すら、人類が恣意的に、その区切り、区間に名付けたものに過ぎない。

しかしながら、不確かな記憶と確固たる記録を求めて、我々は日付という数字に、悠久の時の流れにくさびを打ち、区分を付ける。それは、人類の数少ない共通認識事項である。その日の日付は誰も疑うことが無い、その一日を表す印だ。日付の他に、我々はその一日を表す印を持っているだろうか。毎日が「今日は何の日」だとは限らない。

その日がどんな一日だったか、常に機械的に記録されているものがある。天気だ。晴れだったのか、暑かったのか、寒かったのか、風が強かったのか。それは、もしかして、日付のように、そに一日を表すものになり得るかもしれない。その記録をかたちにしたら、それもそれで印になるかもしれない。

このスケッチでは、盛岡のとある一日の風向・風速からモーションが生まれ
ている。このかたちと動きが、とある一日の印になるかもしれない。

Live demo:
https://www.kalium.net/designsketch/20240429/index.html

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