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風をとらえてそのまま進むという生き方

2022年が半分すぎた。
29歳と30歳のはざまで、ようやく自分の人生を歩みはじめたのだと実感している。数年後を生きるわたしが人生を振り返ったとき、間違いなくこの2022年という1年間は変化の年だと言い切れるだろう。

折り返し地点をすぎた今、感じていることを書いていこうと思う。


欠乏や恐れからの選択


これまでの人生、わたしはたくさんの決断と選択をして今この場所にいる。間違いなく必死に生きてきたし、仕事もプライベートもそれなりに充実している。我ながらナイスな選択をしてきたよな、うんうん。という自負もある。

ただ振り返ってみると、どんな選択も「どうもこれは立ち行かなくなってきたな?」という停滞感や「このままいるとマズイかも?」という最悪の状態を避けるために動いてきたような気がする。脱却せねばならん、という危機回避的な能力を発揮させた結果、自分を追い込んだ末の瞬発的な決断が多かった。

幼稚園から大学卒業まで身も心もすり減らしながら続けた習い事を辞めたときも、実家暮らしで洗濯機すらろくに回したことのない自立とはほど遠い位置にいた焦りから地元を離れて東京でした就職も、衰退に抗えない業界から逃げるようにした転職も、ほとんどが欠乏や恐れ、渇きとか焦りとか、そういったたぐいからの衝動だった。


常に何かに追われ焦り、なりたい理想像もないままに命を削り走り抜けてきた。必要以上に他者やまわりの環境に影響され、心は揺らいだし、「わたしは一体これからどうしていくんだろう」という漠然とした思いを抱えながら、とにかく目の前にあらわれる事象をひたすらこなした。日々の忙しさを理由に自分と向き合う時間を避け続けた。


わたしの人生なのに、決めているのはいつもわたしの傍観者だった。


ただ勘違いしておきたくないのは、どれもこれも新しい出会いや環境に心は踊ったし、勲章のような時間を生きてきたと誇りに思えている。

でもこれがわたしの生きるすべなんだよな〜と受けとめていた。

―――半年前までは



呼ばれるほうへ信じて前進する


今年の1月からコーチングを学んでいる。
衝動はいつもと同じ「このままだとなんかヤバそう」という胸騒ぎ。そして「なんとなく気になる」「なんとなく今よりはよくなりそう」でおなじみの思考。

(ほんとうに必要なときに必要なものに呼ばれてるんだな、というのはあとになってしみじみと実感するもんだな。)

でもこの半年の気づきはいままでのそれとは内容も重さも質感も全然違う。
・どんな些細なこともとりこぼしたくない、欲張りな自分がいること
・大事なことはからだが先に反応して知らせてくれていること
・体感覚を信じてあげると、アクションが驚くほどはやくなること
・人の人生に触れることが自分に豊かな感情をもたらすこと
・なまけもので怠惰なやつが実はいちばんわたしを信じてくれていること
・「言葉」にすることに強いこだわりをもっていそうなこと

まだまだ探求したいことがたくさん湧いてきてちょっと違う意味で慌ただしいここ最近。

いま思うことは、傍観者ではなく当事者として、自分と正面から向き合い、心と体の声を聞いていくと、こんなにも世界の捉え方が変わって、こんなにも軽く生きられるんだという衝撃。

わたしの人生、自分で手綱を握れている感覚があるし、この先なかなかおもしろい人生が待ち受けているのではないかと想像したりして結構たのしめている。

今まで気づかず蓋をしていた感情があらわれてモヤモヤしたりもするが、そこにい続けることもまた新たな自分と出会える大切な時期だと知っていれば、そうお先真っ暗でゲッソリにはならないし割と冷静でいられる。


今までの選択も間違ってないし、常に繊細で敏感な小さなわたしが自分の中に存在してくれていたからこそコーチングと出会えたのだ。(ありがとよの気持ち)


そして、今の生き方のヒントになるものを産まれてからずっと持っていたことに、ついこないだ気づいたのだ――


順風満帆な人生を


結婚式の日、はじめてもらった父からの手紙の一部には、わたしの名前「真帆」という名付けの理由について触れてあった。小学生のとき、名前の由来を調べてくる宿題があったな~なんて記憶をたどりつつも、当日はいろんな出来事と感情で溢れかえっていたので、改めて冷静になって読み返してみた。

ーー「愛され順風満帆な人生」を願って真帆の名前がいいと名付けました。
風を読み、時には帆をたたんで良い風を待つような場面であっても、その時々の風を楽しみながら、確実に進み続けて充実した日々を過ごして欲しいとの願いを込めています。

・・・!

そうだ、わたしは風を存分にはらんで受けとめる頼もしい帆をもっている。
真向から風を捉えて推進する力がある。
大きく手を広げて目をつむり、繊細に感じたままの風を信じて進む。
なにかあれば自分の意思で帆の向きをコントロールすればいい。


あらゆることを先読みしてリスクヘッジするクセは、慎重な航海をしたいからだったのだと気づかされる。知らず知らずのうちに、自分を守るために、みえてもいない風を先読みする力がぐんぐん鍛えられていたのだ。


心穏やかな凪の状態を好み常にバランスをとってきたこれまで。
いまは必要以上に風を先読みせず、そこにあるその瞬間に吹いてきた風を捉えて前進する。ときには帆をたたんで休憩し、ときには船ごと引き返したっていい。そんなイメージで生きていけたらなと思っている。(まだまだ意識しないとすぐに通常運転に引き戻されるけど)

最近はとくに感じるままに受けとり動いてみることが増えてきたので、そこにただよう風とはまた違った、自分の意思で作り上げた風を切りながら進んでいるようで、潔いいくらいに爽快だ。


この歳になって改めて受けとる父からのありがたいギフト。

わたしにはもともとこんな力が備わっていたのだ。心強いお守りが近くにあったことに気づけて嬉しい。
それから、イメージで捉えている自分もいつもと違ってなんかイイ。


自分の名前の由来をちゃんと知っている人はどれくらいいるのだろう?

知っている人も曖昧な人も、ぜひ改めて感じてみてほしい。意外と人生とリンクした発見があっていいかもしれない。




*****

THE COACH Academyの仲間とともにリレー形式で繋ぐこのマガジン企画の17日目。
このnoteは自分が感じたままに飛びついて行動できている証拠のひとつでもある。えらすぎる。


オーストラリアは夏クリスマスあるしアドベントカレンダーやっちゃおう。ってことで生まれたこの企画、りみさんのちゃめっけとパワフルさ全開でエネルギーに満ち溢れてるし、まーさんの的確に言葉にする力はいつもたくさんのコーチ仲間の指針となり励みとなっている。素敵な機会をつくっていただきありがとうございます!
(おふたりともぜひいつか直接お会いしたい)


テーマは「わたしのインテグレーションジャーニー。」

人はこの7つのプロセスを辿るという考え方



もし読んでくださった方のなかで、25人の物語がどこかの琴線に触れたり、なにかを変えたがっていると感じたのであれば、ぴんとくる人に声をかけてみてほしい。

わたしたちコーチはこのインテグレーションジャーニーを共通言語として、自分とそしてクライアントの旅路や歩みを捉える。

*****

さいごに


そしてわたしは今、敢えて自分がどこに立っているのか、確認しないし見立てもしないという選択をとりたいと思っている。とりこぼさずにすべて確実に照合させたいサブパがほんとうにそうか?今あんたそこと違うんとちゃうか?とか自分の見解についてあれこれ言いだして目的が別のところにいっちゃいそうで。(テーマにそっていないな?と思いつつもよしとする)

そのときの風の状態に従いあるがままに生きる。

たしかに言えることは、わたしはこれまでもこれからもこの7つのプロセスをゆっくりと進んだり戻ったり、ときには爆速で駆け抜けているということ。

他の誰でもない自分の人生の旅路を、一歩一歩踏みしめながらじっくり味わい生きていく。



わたしは今日もインテグレーションジャーニーのどこかにいる。

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