なぜ別名義の活動をするか--ビートボクサーとしての苦悩と精神を病んだ話--
初めましての方もそうじゃない方も訪れてくれてありがとうございます。この度はArkaToniという名義で新たなプロジェクトを始めることとなりました。(BATACOの活動とはまた別で動いていこうと考えています。)
基本的には空間音楽(アンビエント/ニューエイジ)を手がけ、音楽だけでなくデザインなどの創作活動全般をやっていく計画です。
BATACOとしての活動は水面下でずっと準備を進めております。必ず以前より進化したカタチで戻ってくるのでもうしばらくお待ちください。
つきましては、なぜこの数年間僕は沈黙していたのか、そして今何をしているのか、どのような流れで新しいプロジェクトの始動に至ったのか、なぜアンビエントなのか、その経緯について記したいと思います。
1.はじめに / 自己紹介
僕はBATACOというステージネームで、ヒューマンビートボクサーとしてアーティスト活動していて、現在は東京を拠点に動いている。
ビートボックスのバトルのシーンではそこそこ活躍していた。(2022年現在
もビートボックスシーンのメインはまだバトルのシーンだ)
知らない人のために少し説明すると、
2017年にソロでアジアチャンピオンになり、GrandBeatboxBattleという今の世界大会にあたるバトルに3回出場し(2022年現在日本人で最多出場)、2018年に同大会でソロでBest4になった。
YouTubeにアップもされていないのであまり認知されていないが、BeatboxMastersという国際大会では準優勝した。
ソロのバトルはフィジカル的な面でも、欧米の人たちとやりあうには中々ハードな部門で、陸上競技で例えると100m走に近いかもしれない。海外には本当に同じ人間か?と疑うくらいのお口お化けがたくさんいる。
日本人がソロバトルで世界一を獲ることは現時点で、かなりハードルが高い。(別に個人的にはバトルで世界一を獲る必要性はないし、あくまで一つの指標でしかないと思うが、、、、それよりもその過程が楽しいんだよね。)
当時はそういうハードな挑戦に意欲を持って挑んでいたが、2019年のGrandBeatboxBattleでバトル熱が冷めて第一線から退くようになった。
自分の中で、ライブで魅せるよりも音源を残す方(楽曲作り)にモチベーションが移って行った。自分の気分が自然とそういう方向に移って行ったのは大きいが、現実的な理由もあった。
2.ビートボクサーとしての苦悩
(※以下に記すことはあくまで個人で経験したことであり、音楽シーン全体で起きていることという風に解釈されるのは避けたい。)
約5年前、東京に来る前自分は大学で福岡にいた。その時にはすでに海外のシーンで結果を出していて、福岡でもライブイベントに呼ばれるようになっていた。
しかし当時ライブイベントに呼ばれても、大きいステージでやらせて貰えず、音響がミニマムな小さいステージでやらされたりと、気持ちよくライブできない場面が結構あった。音楽の世界ではほぼ余所者で、ビートボックスシーンにいる時の自分と音楽シーンにいる自分を比べると、ベジータと一般人くらいに戦闘力の差がある感じがあった。当然そうだろう。福岡の音楽シーンではプロップスは僅かだった。
そもそもイベントに呼んでくれるだけでも嬉しいし、感謝している。気持ちよくライブをやらせていただいたところもある。別に差別があったみたいなことでもない。
ただ、特殊なジャンルのためどこか飛び道具的な扱いをされているように感じたし、自分がビートボックスのシーンで積み上げたものはあまりみられていない感じが正直当時はあった。
詳しくは述べないが、かなり失礼なライブオファーとかいくつもあった。
ギャラを伺ったら「3000円くらいだったら出してあげるよ」みたいに言われたこともあった。それだったらもうノーギャラでいいわい、、、
(振り返れば当時はオファーの話になると神経質になっていた。)
多くは断ったが、人付き合いのためと思って受けたものもあった。今では受けなければよかったと後悔している。
結局ライブでぶちカマして舐めてる人を分からせようと思っても、音響の小さいステージに回され思うように力を発揮できない。大きいステージでやることが別に自分の目標というわけでもないが、シーンを背負っている自負もあったのでビートボックスはこの程度なのかと思われるのが嫌だった。
今であればその音響に合わせて演奏内容や使う音を変えたりして合わせる事ができるが、当時の自分は未熟でそこまでの技術を持ってなかった。
現場でビートボックスを聞いたことがある人ならわかるが、ビートボックスはかなり音響システムに左右される。テレビやYouTubeなんかで聞くのと生で聞くのでは、どの音楽ジャンルよりも差が大きい。
主催側も僕のビートボックスを生で一度も聞いたことがないため、説明しても伝わらなかった。それは仕方のないことだと思う。
ちゃんとした音響でやらせてもらえたらその場の全員くらわせる自信があったのだが、そもそもそういうステージでやらせてもらえない。
だったらもう、音源で先にくらわせばいいじゃんとなった。音源がよければもう少し待遇は変わるんじゃないかと考えた。
もし自分が普通の音楽ジャンルをチョイスしていたらこういう風にはならなかったと思う。だって音楽をして、それを聞いてもらい見てもらい続けるだけで本来は十分だからだ。だけどビートボックスという、まだまだ(本当の魅力が)世間に伝わってないジャンルをやっているが故に、舐められないようにしようと気が尖っていた。
これまでの活動を通して生まれた自意識がシーンの威厳を保つという責任を背負うようになっていたのだ。
そういう次第で、音源製作をするようになっていた。
しかしこれがまた難しい。ビートボックスの曲をどのように作るか。曲作りとなると、普段のマイク1本のライブと違い、制約がなく一気に自由になる。多重に録音
できるし、楽器も使ってもいい。その自由さは逆に難しかった。
3.修行期間
シーンのトッププレイヤーとして活動している以上、音源は半端なものは出せないと自分でハードルをどんどんと上げてしまっていた。
音源製作をしていた初期は曲を作ったらすぐ発表していたが、そのできに納得いかない部分が心のどこかにあった。そもそも曲作りと、ビートボックスのルーティン作りは使う能力がかなり違うので、ゼロからキャリアをスタートするような感じだ。(共通する部分もあるが)
ちなみにその頃は、音源製作するビートボクサーは今と比べてまだ少なかった。
完璧主義な性格もあって、どうしても自分の中で納得いかないものを出し続けるよりも、しっかりしたクオリティのものをコンスタントに出せるように準備を整えてから動こうと考えるようになった。
そこで表向きの音楽活動をやめ、音源製作の修行と、自分の制作環境を整えることに集中する期間に数年前から突入した。
また自分の中で新たな音楽形式のコンセプトが見えたのでそれをカタチにするという目的もあって制作に集中するようになった。ジャンプ漫画でよくある修行期間みたいなものだ。
SNSは2年前から投稿をやめ、ライブも友人のステージにしか立たないようになった。バトルのジャッジも断るようになった。自分をすでに知っている人たちにも進化した姿を見せてくらわせたいと思う様になっていた。
今水面下でいくつかのプロジェクトを動かしながら、曲を作っては捨て作っては捨てを繰り返し、この2年で50曲は制作した。
現状BATACOの楽曲はかなり良い感じに仕上がって来ている。新たなコンセプトもカタチが見えて来ている。ビートボックスの毎日やっているし上達している。復活まであともう少し待っていてほしい。
4.精神を病む
「元気?」
と聞かれた時の答えに困る。身体はいたって健康だ。しかし心はそうじゃない。
2年前、私生活で相当くらってしまうことがあった。ここでそれについて詳しくは触れないが、それがきっかけで毎晩不安が襲ってくるようになり、そのストレスで昨年末は突発性難聴になり右耳が聞こえづらくなっていた。
ここ最近では、予定をすっ飛ばすなど私生活でおかしなエラーが度重なったため病院に行ったら鬱と不安神経症の疑いがあると診断され、今は精神科に通って治療をしている。
昔は割とメンタルが回復するのは早い方だったが、今は終わらないマラソンを走っているような感覚で、心理的な疲労感がずっと溜まっているような状態だ。
中々布団から起き上がれない日もある。
そんな状態で、何とか挫けずにいられているのは自分の周りにいる人たちとケンドリックラマーと銭湯のおかげだ。
しかしこの中に本来なら入るはずの、自分の創作活動が入っていない。
自分は何かを作っていないと死んでしまう人間だと思っていたが、何かを作るだけではなく、それを世界に発信することもセットでないといけないということにこの数年で気がついた。そしてこれが自己を回復する方法だったということに。
小学生や中学生の頃は絵を書くのが好きで、自分で架空のキャラクターを作ったりしてよく遊んでいた。その頃はそれを人に見せなくてもよかった。ただ描いて創るだけでよかった。
だがいつからこうなったのか分からないが、人に見られないといけないようになっていた。
何かを創る→見てもらう/聞いてもらう→反応をもらう この流れが自分の新陳代謝として必要だったみたいだ。
この新陳代謝がストップしてしまったのは心にとって不健康だった。
承認欲求を満たしたいというのもあるのかもしれないが、それよりも、作品と観賞者の繋がりの中に自分の存在を感じられるのだ。自分の製作活動の中にはそういう実存的な意味があると思っている。
修行期間という自分で設けた制限がいつの間にか自分の首を絞めていた。終わりなきマラソンの疲労は回復されずずーっと溜まっていっている一方だ。ところでジャンプ漫画はそういうマンガを描いてもいいと思う。修行期間で精神を病む主人公。精神と時の部屋で鬱になる悟空とか。そういうのがあったら読んでみたい。
5.ArkaToni始動
ジャンプの話はさておき、以上のことがあって、気持ちが落ちてしまった自己を回復するために、別名義で音楽活動を始めようと思うようになった。BATACOの自意識から解放され、新しく何にも縛られないカタチで。
アンビエントは元から好きということもあったが、自分自身を癒すという意味でも自然とそういう音楽を作りたくなった。
苦しさや、寂しさに直面している人に寄り添うような音楽を作りたい。落ち込んでいるものにポジティビティを与えたり、元気付けたりするのではなく、ただただ寄り添うような音楽を作りたい。
自分と同じように心が沈んでいる人の横にただ居てくれるような曲を作りたいと思い、ArkaToniという新たな名義で楽曲作りを始めた。
ArkaToniは本名のTakanoriのアナグラムで、前々からSNSのIDで使用していた名前だ。自分としても馴染んでいるのでしっくりきている。
また、音楽だけでなく様々なクリエイション活動もやっていきたく計画も色々ある。今後の動きにも注目していただきたい。
一応かなり簡潔にまとめたつもりだが、結構な文字数になってしまった。最後まで読んでいただきありがとうございます。まだまだ詳細は語れるが、ひとまずここで終わりにしたいと思います。
ArkaToniの活動も今後とも、よろしくお願い致します。