傷のありか
最近の人気漫画作品では、主人公が怪物や妖怪などを体に取り込み、自らも怪物となりて闘う。
「呪術廻戦」「チェーンソーマン」「怪獣8号」
そういう物語が人気なんだそうです。昔の呼び方でいうと「変身モノ」ということになるのでしょうか。
いずれの作品も、怪物と一体化したのは味方の中では主人公だけ、怪物と言えば敵のことを指す状況で孤独感と疎外感を感じ、変身すれば味方からも命を狙われながら、味方のために闘うという点が共通している印象です。
昔の変身モノより状況は悪化してるという印象を私は受けます。
昔は、ヒーローは「守っている一般人」から迫害される孤独感があったように聞いていますが、今の変身モノは「一緒に闘っている仲間」から迫害される孤独感に変わっています。
もう、同級生や同僚も安心できないのでしょうか。
さて、これらの作品が、読み楽しむ人たちの願望を作中で叶えていると仮定した場合、その願望とは一体なんだろうか?
”もはや努力ではどうにもならない差”が初めにあり、善悪を無視してでも強くなりたく、味方の役に立ちたい、そして、敵みたいな自分を受け入れて欲しい、のだろうか。
差とは、成績や業績、生活の質のことだろうか。
善悪とは、常識的な正しさ、つまり「禁止されてないこと」と「禁止されたこと」だろうか。
味方とは、一緒にいる人たちだろうか。
「受け入れて欲しい」とは、「そんな自分をいじめないで欲しい」だろうか
今後の変身モノは、主人公は最初は敵側で、敵側からもヒーロー側からも迫害されながら孤独に、願いだけを頼りに闘うようになるかもしれませんね。
人を喰わなければ生きていけない。
しかし、殺しを楽しむことには同意できない。
必要な量だけを喰うのは怪物として正しくないからいじめられる。
もちろん人にとって自分は敵。
人と自然の話かな?
自然を喰わなければ生きていけない。
必要な量だけ喰おうとすれば、経済的に弱くなるから喰われてしまう。
一般生活に例えると何になるのでしょうかね。
読んでくれてありがとうございます。
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