かみさまって幸せなのだろうか?
それと、向こうには向こうの区分があるのでは。
私が最近、考えているのは、
私たちはアレをゴッドだとかカミだとか呼ぶのだろうし、ヨウカイだの枯草だの、悪魔だのなんだのと呼ぶのだろうけれど、向こう側には向こう側の区別があるのでは?
昨日、神社にいたカミさまが、今日、隣にいても別にいいわけです。
それと、話は変わるのですが、神様の幸福を祈る宗教って少ないですよね。
儀式の中に取り入れられているとしても、個人としてこれを祈る人はほぼ皆無なのでは?
キリスト教にはそういう祈りってあるのだろうか?
聞いたことないのです。
「全知全能のゴッドは幸せに決まっている」とか決めつけているのだろうか?
それとも「人間ごときがゴッドの身辺や心労に対して何かを願うなんて不届き千万である」みたいな感じなのだろうか?
読んでくれてありがとうございます。
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