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『ARK9010』EP.1.2 アルマンダインレッドのコスワース「試験」

 不思議なもので、カマロのトラブルは結局原因がよくわからなかった。アメ車にはありがちなことなのだが・・・理系で現役IT系研究者のぼくは、こういったことにはやや納得がいかなかった。物事には必ず理由や原因がある。エンジンがかからなくなった理由があるはずなんだけど、まぁあの若いメカニック君では無理か。

 ぼくもけっこう適当だ。

 そんなことより、あのW201・・・アルマンダインレッドの190Eが、ぼくの心から離れない。彼女がとても厄介な奴ということは、ここ数日、ネットで古い情報を調べただけでもよくわかる。
 1年のうち楽しく乗れたのは1か月程、10か月以上は修理工場とか・・・
 不思議なくらい次から次へと、まるで何かの連鎖反応のように壊れていくとか・・・
 高速で突然、目の前が真っ白な煙に覆われたとか・・・
 それでも、年々、部品は改善されていって、徐々にトラブルは減っているらしい。
 赤坂のサニーと揶揄されるほど、バブル期に売れまくった小さな高級車であるが、維持することがこれほど大変とは。
 特にこの190E 2.5-16(2.3-16も)を維持するには、他のグレードに比べると相当な忍耐力と知識、それと整備の腕、もしくは財力がいるようだ。

「あら、また来られているんですね?相当気に入っちゃったんですか?このコスワースちゃん。ほぼ毎日通っていただいてませんか?」
小太りのショップのオーナーが、人懐っこそうに笑いながら近づいてきた。
「いや・・・そういう訳では・・・直すのにどれくらいの費用が掛かるのかとか・・・ほらやっぱりなんかカッコいいし、なんか気になっちゃうじゃないですか?」
 なに言ってんだ。素直に若いころ好きだった車って、いつか欲しいと思ったけど、価格を見てあきらめた経緯があるって、でもこれなら買えるかもしれないって言えばいいじゃん。
「うん。放っておいても廃車が早まるだけなので、正直なところ誰かに買っていただきたいのですけど・・・おそらくですね・・・車検を取得する、つまり走らせるだけにするにも、修理代だけでこれくらいは・・・」
「えっそんなに!」
「このころのベンツはですね、部品自体はそれほどお高くはないんですよ・・・けどですね・・・工数がかかるので、どうしても工賃がお高くなってしまい・・・」
「でも、修理代だけでも、ちょっとした国産の新車が買えちゃいますよっ。この車、維持するのにも相当な覚悟がいるんでしょ?」
「まぁそうおっしゃられる人もいますね。でもコスワースに一度でも乗ると・・・その覚悟や苦労なんて・・・なにごとにも代え難いって思えちゃいますよ、きっと・・・」
「へぇ本当ですかぁ?・・・でも、一度そんなコンディションの個体に乗ってみたいなぁ・・・」
「う~ん・・・あっ!そういえば一台心当たりがありますよ。少々お待ちくださいね。彼、もう帰って来てるはずだよなぁ・・・」
小太りのショップのオーナーが、ニヤニヤしながら、何やら携帯で話をしていた。

 それから数週間後の夜、ぼくはあの車屋さんにいた。
目の前には、ボディカラーがブルーブラックの190E 2.5-16が神々しく鎮座する。状態はすこぶる良いとのことだ。
 なんでも、この個体のオーナーは、普段、仕事でアメリカに住んでいて、帰国した際には、いつも必ずこのショップへ顔を出すらしい。今回はメンテナンスのタイミングでもあったようで、ちょうど本日一通りのメンテナンスや部品交換が終わり、納品前の試走をオーナー同伴でぼくが実施できる運びとなった。
 すでにエンジンはかかっている。ややノイジーなエンジン音だけど、これはこれで良い。新品のパーツが初めて熱に晒されて発する独特のにおい・・・怪しく神々しいブルーブラック(ブルブラ)のボディ・・・控えめだがいかにもヤリそうなエアロも好きだ。
「本当にぼくが運転して良いんですか?」
ショップのオーナーと同世代か?スラっとしたよい姿勢の立ち姿。成功者が放つ独特のオーラが漂う紳士。
「いいよ、いいよ・・・私もこの車に初めて触れたのは、君の年ぐらいだったと思うよ。ってところで君、何歳だい?はっはっはっはっ・・・」
「あっえっと年は・・・」
「さっ早く乗った乗った・・・」
車のオーナーとショップのオーナー、両オーナーも同じタイミングで乗り込んできた。

 ブレーキペダルを踏んで、シフトをDレンジに入れる。アクセルを踏む。ステアリングを回して車の向きを変える。どんな車に乗っても行う当たり前の動作。
 ただ・・・この車は・・・違う・・・コツ・・・グッ・・・ギュイ・・・
車体の各部のメカニズムが正しく動くその様が、シフトレバー、ステアリング、シート・・・ドライバーと接する部位から振動や加速度で伝わる。ぼく自身が、この車のデバイスの一部なったような錯覚が起きる・・・
「な・なんなんだ・・・この感じ・・・」

 小さな段差を超えるとき、ロアアームの動きが、サブフレームからフロア、そしてシートを介して、ぼくの腰へ入力される。そして脳内にはマルチリンクの各アームの動きがイメージさせられる。

「加速してごらん・・・」
 語りかけるように優しくぼくを煽るオーナー。
 恐る恐るアクセルを踏む・・・

 一気にコスワース製の4気筒16バルブエンジンが回る。そしてその回転数と同期して加速する車。それに呼応するように、ぼくたちはシンクロした。

「う・・・これだ・・・」
 ぼくは思わずつぶやいてしまった。

 思っていた感覚・・・とは言い過ぎかもしれないが、ぼくの体は知っていたような感じだ。きっと若かりしぼくは、想像の中で何度もこの車を運転したんだろう。自然と顔に笑みが現れた。

「合格だね・・・」
「あぁ合格だ・・・」
 二人の紳士もうれしそうに微笑んだ。

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