『ラークシャサの家系』第16話
◇「クリームパンとドデカミン」
新しい週が始まった。先週までの出来事に、なにか現実感がない。引っ越したばかりの土地、そして新しい職場ということもあるが、何か浮ついている。鬼退治は、思っていた以上に手こずることになっているし、その結果のあれだ。少し色々と仕切り直しだ。
「はぁ・・・。」
「キダっちー。元気?」
この人は、なぜいつも机の下から登場するのか?
「いや・・・元気ないっす。鴛海さんは、相変わらず元気ね。」
「キダっち、やっぱり元気ないのか・・・でもねぇ、僕、またすごいもの見つけちゃったかも。」
「うん。なにが”でも”かよくわからないけど、そのすごいものって何ですか?」
「これ。この書き込み。これあのサイトの、依頼者から書き込みサイトなんだけどさ。削除データをぜーんぶ復元してみたわけ。結構、時間かかったんだけどね。そしたらこれ。山崎正の”成敗依頼”じゃない?」
「おっ・・・どういうこと?」
「うん。キダっち。僕もよくわかってない。こういうのは七瀬だよね。ん?キダっち、七瀬と何かあった?」
「えっ?な、なんで?」
「うーん。なんとなく。七瀬の名前が出た時、一瞬、キダっちの体温が上がったというか、脈拍が速くなったというか・・・気のせいかも、なんでもない、気にしないで。」
この人、意外と目ざとい。だてに鬼じゃない。
「で、鴛海さん。これってさ。記入した人間って、特定できないの?なんか科捜研で”あみちゃん”がやってるじゃない。」
「また科捜研のあみちゃん? うーん、今のところ、IPアドレスの特定まではいけたんだけどねぇ。もう少し待って。このIPアドレスがパブリックWifiとかだと、ちょっとお手上げ。ある程度の生活圏までを絞ることができるけど。”ISP”とかのだったら良いんだけどね。あっ”ISP”ってインターネットプロバイダーのことね。」
「ふーん・・・で、どういうこと?」
「まぁ僕に任せて。ところで、キダっち、あのアチュート2匹に、相当こっ酷くやられたんだってね?」
「えっ、誰がそんなことを?」
「あぁ、明子ちゃんから。あの日の翌日、会社で。キダっちが休むってなったから、明子ちゃんがその状況をみんなに説明してくれた。でもさすがクシャトリヤ、完全に再生したみたいね。」
「あぁ。正直、ちょっとあのアチュート2匹を嘗めてたな。ヤバかった。ちょっと自分を過信してたかなぁ。」
「明子ちゃん、すっごい心配してた。自分のせいだって。あっ、あと、あいつも。ほらそこにいる。」
「ん?」
紗々・・・いつの間にそこに。部屋の隅にある製品サンプルの山と同化して、心配そうにオレをじっと見ている。さっきから何か見つめられているような気がしていたが、紗々だったか・・・とりあえず手を振ってみた。
「ふふふ・・・」
きっと、紗々なりの精一杯の笑顔なんだろうが、どう見ても、復讐がうまくいって、満足そうにしているヤバい女にしか見えない。
まぁ、今回は色々な人に心配させてしまった。少し調子に乗っていたところがあるかもしれない。社長は”管理責任者として云々・・・”と言っていたが、皆に聞くと相当心配していたようだった。
「ところで明子ちゃんは?」
「あぁ、別館にいる。茂木兄となにかやってる。」
「ふーん。そうなんだ。」
なんだか、オレとは無関係に時間は進んでいる感じがして、みんなは、それぞれにやるべきことがあって、それに向かって各々前に進んでいる。俺だけが置いてけぼりのような錯覚を受ける。
でも、本当はオレが一番、不甲斐ない。ジャンプとかだと、ここで師匠とか達人みたいな人が現れて、特訓編に突入するのだろうが、これは漫画ではない。そんな都合よく師匠や達人は現れない。かと言って、オレは今何をすべきなのか?そんなことすらわかっていない。現実は漫画のようにうまくいかない。悩んだって考えたって、答えが出ないときは、答えは出ない。
”グ~ゥ・・・”
こんな時でも腹は減る。自販機で、何か食べるものでも買おう。
”チャリン”
”ポチ・・・ブーン・・・ガチャン”
聞いたことのないメーカーのクリームパン。一つ60円という破格のプライシング。クリームパンと言えば、カスタードクリームが定番だが、このクリームパンはクリームすら入っておらず、クリームっぽいものがパンの生地に練り込んであるスペシャルな仕様。そのため、ほんのり甘いただのコッペパンなのだが、驚異のプライシングに加え、その甘さ控えめのコンセプトが、現場のおじちゃんたちの支持を集めているらしい。さらに、口の中の水分を全部持っていかれるパッサパサの生地は、なぜか、現場で最も支持率の高い飲み物、”ドデカミン”との相性がすこぶる良いらしい。入社初日の休憩時間で、現場のおじちゃんたちから、得々と説明を受けた。
「しかし、まずいクリームパンだなぁ・・・逆に癖になるわっ」
思わず、でかい独り言が出る。
「兄ちゃんも、ちょっとわかってきたな。」
鋳造の仁さん。先々代社長の時から、鋳造工程一筋の達人だ。なんでも、その日のアルミ溶湯の水分含有量がわかるらしく、その感覚で、除滓剤の量や除滓時間を決めているらしい。これはこれで化け物だ。
「あんなぁ、何でもな、見方、聞き方でな、見え方、聞こえ方が変わるんだよ。すぐに文句を言う奴や悩む奴はな、そんな工夫をしようとしない。ちょっとだけ工夫をしたら、ずいぶん変わるんだけどな・・・」
「へぇ、飲み屋のお姉ちゃんの話しかしないのかと思ったけど、仁さん、まともなことも言うんだね。」
「だははははッ。今夜あたり行くか?」
よくわからない手振りをしながら、満面の笑みを浮かべる仁さん。
「オレ、前にも言ったけど酒飲めないんだよ。覚えてないだろ。」
「そっか、ごめんごめん・・・なんかお前とは、うまい酒が飲めそうな気がしたんだけどな。飲めねぇのならダメだな・・・」
「ごめんな。でも、ありがとう、仁さん。」
「だははははははっ」
事務所に戻ると社長が待っていた。
「先ほど七瀬さんから電話がありました。今日の昼一、1時頃に来られるそうです。今後の対応の仕方について、皆さんと打ち合わせがしたいとのことでした。キダさん、よろしいですね?」
「あぁ・・・早く”かたをつけたい”しな。」
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