10/15 朝 思考
今日は大学を休む。”今日も”が正しい。大学に行ったところでまともに授業を受けられない日が続いている。涙が止まらない。お猪口のような心のコップは常に表面張力で膨らんでいて、雫が一滴でも垂れたら洪水のように溢れ出す。砂漠の人からしたら恵みの雨でも、私からしたらコップの水を脅かす恐怖でしかない。友達、賑わい、眼差し。人混み、喧騒、視線。
朝起きて絶望する。理由はシンプルで、大学に行かないといけないから。アラームがなっても横になったまま。日が登っていて、明るさは十分にあるはずなのに手探りでスマホを探す。寝ぼけ眼には朝日が差している部屋も暗闇同然だ。昨夜から時間をかけて人肌に温まった布団は、朝方の冷たい空気から身を守ってくれる。膝をかがめて、足先から頭のてっぺんまで包み込んでもらう。その温かさや窮屈さが母体を想起させる。ヒトのあるべき姿なので、無論居心地はよく、手放すのが惜しい。この繭を突き破ったところで、私は産声を張り上げることもない。行き場を失った水が視界を滲ませた。
朝の支度をするために重力に逆らう。身だしなみを整えるときに鏡越しに自分と対面する。憎悪が溢れ出した醜い顔を取り繕っていく時間。1時間かけてようやく邪気を払うことができる。
くすんだ肌に生気の感じられない色の生ぬるい液を塗り広げ、その上から無理やり血色を足す。死にかけの人間を殺して生き返らせたみたいなステップの化粧だと思う。が、その生殺与奪も意味がない。
外に出られない。大学に行けないからだ。涙が頬を伝って一緒に目の周りの汚れを落としていく。抗おうとするなんて意味がない、自分は無力なんだと思い知らされる。
ふと思う。
自分に向けられた優しさが心を貫通するとき。深く突き刺さった銛には返しがついていて、そう簡単には抜けない。ずっと付き纏うようにじわじわと精神を疲弊させていく。人間の思惑が絡みついた銛。悪意の銃で撃たれた方がよっぽど楽だ。
すべては素直に受け取れない自分の責任だ。すべて自分が悪い(と、自ら言うことでわかった気になって罪悪感を紛らわせている)。
もしかして自分自身は存在しなくて、自分は人の優しさを映す水面なのかもしれない。水面といっても透明ではなくて、石を投げ込んだらどっと濁っていくが、そこにあるものはくっきり見ることができる。自分がどう思ったかよりも、その人がどうあったかの方が関心が高い。
凪だ。凪こそが鏡。揺れてる水面は鏡にはならない。
私はどうだろうか。良い意味でも悪い意味でも違う気がする。
もし水面でもなくて、家だったら。
家を建てるのに土地選びを間違えてしまったのかもしれない。地盤が緩くて築浅なのに倒壊しそう。見よう見まねで作った建物は見た目こそ半人前だが、柱の数が少なかったり、細かったり、不安定で風が吹いただけで揺れる。最初からお菓子の家でも作っておけばよかった。みんなが憧れるような素敵な家。持ってないから憧れてるだけの家。
お菓子食べたい。そう思える自分にほっとすると同時に、自分の絶望はちっぽけで、決意は浅はかであると突きつけられる。
三大欲求を満たすたびに死が遠のいていってる気がして虚しい。
欲望に生かされてる。本能のままに生きて死んでいくんだろうな。
毎日を健やかに過ごしたい。最近願うこと。