感傷に浸る。
何か書きたいな、と思いつつ数年。
変わったようで変わってない私と
絵に描いたように美しく変わりゆく旧友。
夢見心地で『一軒家が欲しい』と語っていた彼は今年家を買い、
遠い目をして『結婚は30代でいいかな』と言っていた友人には今年子供が産まれた。
自分のことのように嬉しいはずなのに
感傷的な気持ちが追いかけてくる。
私といえば今日も今日とて
虚ろな目で天井を見つめ、
『恋人?結婚?キャリア?人生?はにゃあ?』
と何も分からないフリをしている。
焦り、不安、憤り、後悔。
ここまで彼らと私を二極化させたポイントはなんだったのかと思考する。
きっかけ?覚悟?体験?タイミング?
いや、全部か。
悉く逃し続けた私とちゃんと掴んだ彼ら。
今さら気づいたところで遅すぎる。
私が変化に恐れて生きるのを諦めていた頃、
彼らは出会った人や触れたもの、経験を通して確実に前に進んでた。その背景を知る余地はないけれど、各々の物語があって、主役を全うしてた。
羨む権利なんてないのに、自分の手で掴めた彼らが羨ましい。ズルい。切なくて、苦しい。これもまた私が変われない理由の一つだ。
本当は、
早くありのままの自分でいいと思いたい。
他人を妬もうが嫉もうが、これが私だと言いたい。
人と比べるだけの人生は終わりにしたい。
自分に自信がないからずっとこの有様なんだ。
わかってる。
恋人がいるから尊い訳でも、結婚したから偉い訳でも、子供がいるから賞賛される訳でも、キャリアが確立されてるから価値がある訳でもない。
そのままでいい。ありのままでいい。
生きてるだけでいい…はずなのに。
ぐるぐると思考してしまう。もどかしい。
でもそれもまた私の特性なんだと思う。
こんな私だけど、「自分にはこんな特性がある」と理解することが少しだけできている。
それはきっといいこと。
誰かに対する劣等感。敗北感。焦燥感。
きっとこれが私の変わる「きっかけ」。
何者でもなくても、誰かにとっての特別になれなくても自分は自分だといつの日か胸を張れるように。
今できることをひとつひとつ。
目の前の誰かを大切に。
みんなもみんなのまま、ありのままでいてね。
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あーアイスうめー。
あー金欲しいー。
あーあーあー。
全部諦めて開き直りたいなー。
毎日のコーヒー代に使われます。いつもありがとう。