三つ子の魂百まで?
幼い頃の性質は一生変わらないということわざ「三つ子の魂百まで」。
これはある意味、怖い話だなと思って、時々アンラーニングを意識します。ホラー的な怖い話ではないですが、ちょっと思い当たる節があるのです。
例えば音楽
例えば、今だに中学生の頃聞いていた音楽が好きで聴いていたり。(さすがに飽きてはいるのですが、定期的に懐かしく感じてメディアが変わる度に(CDで聴いていたのをApple Musicでまた発見して聴くなど)また同じことを繰り返しています。新しい音楽も聴きますが、10代20代に比べると、自分なりの発見の数は減ってきているように思います。
スポーツなども小学生の頃から野球が好きで今だに見ているし、子供の頃、親のカメラを借りて使っているのがまだ手元にあるし、引っ込み思案な性格は物心がついた時から変わっていない気がします。
そう考えると、もしかして人は変われないのではないかという恐怖を感じます。なぜならば、この理屈でいうと子供の頃の性質(特に趣味嗜好)が基本的には大人になっても変わらずずっと続くので、努力というよりも好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、そしてそれは一生努力では変わりません、みたいに感じるからです。
変わらない”人の資質”
人の資質を見える化するツール(ストレングスファインダーなど)でも、基本的には資質自体は大きく変化せず、使い方によって強みにも弱みにもなるとされています。(何度もやると、意識して変えてしまうことで結果が変わりますが)。それはやはり、自分の特性は基本的には変わるものではないという解釈が前提になっています。
芸術家の草間彌生は多くの作品がありますが、中でもかぼちゃをモチーフにしたものは有名です。かぼちゃの作品は随分と彼女自身が大人になってから世に出ていますが、実はかぼちゃに魅了されたのは幼少期の頃だったと言います。つまり、子供の頃からの嗜好が大人になっても変わらず影響を受けていたのですね。
アンラーニングと自己発見の重要性
子供の頃から自身の嗜好性や資質が変わらないのならば、それは成長がなかったり、世界観が拡張していかないことになります。それは本当に恐ろしいことに感じます。
なので、自分の嗜好性をもとに築いた経験を一度、上書きして他の価値観を植えてつけていくことや、そもそも子供頃には出会っていなかった世界を大人になって開けていく(もともと興味や素質があるけれども子供の頃にはきっかけがなくて開かなかった引き出しを大人になってからも日々、新しく引き出し続ける)ことが重要なことだと思いました。
昔と変わらず好きなものや好きなやり方が無意識にあるけれども、まだ開いていない引き出しがまだまだたくさんあるという風に捉えています。だから新しい音楽も好きになれるし、趣味も、生き方も拡張していける、という結論でした。(Adoを聴いてやっぱりすごいなと思うし、BLACKPINKも今までにない感覚だと思うし。)
(過去を振り返ると、人からの影響で今まで自分になかった嗜好性を発見するということが多かった気がします。特に身近な異性など)
琴線を繋いでいく
ミュージシャン・アーティスト側の話で言うと、幼少期や思春期に好きで聴いていた音楽をリスペクトし、それに影響を受けて自分のオリジナル作品へ昇華していく。またその音楽やアーティストに影響を受けて、次の世代のアーティストが自分のアウトプットに昇華させていく。それが続くとすると、自分の中にある琴線に響く要素を見つけて、それが伝言ゲームのようにつながっていくと感じます。
まとめ
三つ子の魂百までというように、ある程度自分の資質や嗜好は同じものがずっとベースにあると思います。でも、その自分の世界の角度からだけでなく子供の頃には気付かなかった新しい引き出しもたくさんあるだろうと思います。そのきっかけはなかなか自分自身で見付けにいくのが難しいと思っているのですが(無意識の自分の行動や思考パターンは同じなので。)、ちょっとした衝動や他者からのきっかけで、広げていくことができると思うのです。
言うならば、リベラルアーツのように多面的なジャンルかつベースとなる教養を身につけていきたいものです。