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悲しきポメラニアン
珍しいことに、ある日オカンが子犬を貰ってきた。
従来は親父が貰ってきたぞ。とどこかの雑種をポイとソファーに投げて飼いだすのが我が家では通例だった。
一匹だけ例外もいたが……
(ミニコミ誌で貰った。たいへんなやつだった。過去の日記「破天荒バカ犬一代記」参照)
オカンは常々「犬は死んだら可哀そうだからもう二度と飼わない」と、豪語していた。
そのオカンが子犬を貰ってきたのだ。
いや、子犬に見えた。私の家では、雑種しか飼ったことがなかった。なので私には子犬に見えた。
オカンは抱きかかえた犬を嬉しそうに私たちに見せて「この子、これでも大人なんだよ〜」と、孫を抱くお婆のように目を細めた。
なんと!こんなに小さいのに成犬なのか!
「ポメラニアンの愛ちゃん。って言うんだよ。買ったら高いんだからね〜」
と、なぜか得意げなオカン。
オカンがこういう言い回しをしたときは、どこぞのルートでタダで貰ってきたと言う事だ。
事情を聴くと、案の定知り合いの知り合いがブリーダーをやっていて、この子はもう子供ができない体なので、処分する運びになっていたらしい。
それを聞いたオカンが「じゃぁ、私が飼う」と言って、半ば強引に引き取ってきた。とのことだった。
小さくてかわいらしいポメラニアンを家族みんなで取り囲む。
(この頃、妹はめちゃんこ号泣して嫁に行ったくせに、やたらと実家に帰ってきていた)
・・・・・・私はさっきから気にはなっていたのだが、あえて口にしていないことがあった。
クンクンと鼻を鳴らして、口火を切ったのはやはり動物好きの極悪人。妹君だった。
「こいつ、臭せー!!」
妹君はそう言って、愛ちゃんの首根っこを掴んで風呂場へ直行した。
「風呂場で犬っころ洗うなよ!毛だらけになるだろうが!」
と親父が怒鳴った。
「今何月だと思ってんの?2月だよ!外で洗ったら、風邪ひいちゃうよ!」
とオカンが応戦した。
「だけどよー。風呂が毛だらけに・・・」
親父のひとり言をしり目に、妹君はさっさと風呂場で愛ちゃんを洗い出していた。
お風呂上がりの愛ちゃんはぷるぷると小刻みに震えていた。
「ほら、震えてるよ。ドライヤー。ドライヤー」
オカンが愛ちゃんにドライヤーをあてながら「気持ち良かったでちゅね〜」
と、なぜか今年で5歳になる立派な成犬相手に、赤ちゃん言葉で話しかけていた。
概ね乾いたところで、私が愛を抱きかかえた。
……臭い。
今しがた風呂に入ったばかりだというのに、もう臭い。
なんじゃこいつ。
ふわふわの毛に覆われ、くりくりとした目で愛くるしい表情を浮かべるポメラニアン愛。
だけど…臭い。
オカンが言うには、愛ちゃんは、狭いゲージの中で生まれてから今まで外に出たことがなかったそうだ。もちろん風呂だって入れてもらったことがない。
子供を産むためだけに生かされてきた命。何とも言えない気持ちが、家族団らんの空気を一気に澱ませた。
久しぶりに、実家に帰えると、玄関先で「こんにちは」とでもいうように、愛が顔をのぞかせた。
よく赤ちゃんが入っている、ベビーカゴで愛がチンと寝ていた。
カゴには布団がひかれており、今まで我が家で飼われていたお歴々の犬たちが見たら、さぞ怒った事だろう。
待遇が違い過ぎる。これもフォルムが段違いにかわいいからか。犬も顔か?!……と
天気が良かったので「愛。散歩でも行こうか」と、私は愛をかごから出して、上り框を降りて外に出た。
振り返ると、愛が付いてきてなかった。愛は、玄関先で高さ15㎝ほどの上り框を、下りることができないでいた。
胸が熱くなった。
昔飼っていた犬どもなら、なんなく飛び下りていた、なんでもない高さの框が下りられない。
これもゲージ育ちだからだろうか。私は目頭を熱くして、愛を下におろした。
小さくて、可愛くて、どうしようもないくらい臭い愛ちゃんを母も私もとてもかわいがっていた。
が、愛との別れは突然訪れた。
妹君の長男君がひ弱でしょうがなく。犬アレルギーと診断されてしまったのだ。孫と犬。頭を抱えたオカンは、やっぱり孫。と言う結論に至り、知り合いに引き取ってもらう事となった。
一か月ぐらいしか、いなかったが愛ちゃんもまた印象に残る子だった。
人間のエゴで作り出された、愛ちゃんみたいな子たちが、そこらじゅうで処分されている。
人間なんて嫌いだ。と、人間相手に商売をしている私だが、その時は心底そう思った。
愛ちゃん元気にしてるかな〜。