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究極のコーヒー
ガラガラガラ
「こんにちは!」
おじいちゃんの家の立てつけの悪い戸を開けると、いつもの香りが僕を出迎えてくれる。
乱雑とした部屋の片隅で、燦然と光り輝くコーヒーメーカーが、ポコポコ音を立てながら、ポタリポタリと一滴づつ香りの元を滴り落としている。
僕はこの不思議な道具が小さな頃から大好きだった。
水を注いでしばらくすると、いい香りのついた水がほんのり色付いて現れる。
じれったいほどに少しずつ。
ガラスの入れ物にたまるまでの時間、僕はコーヒーメーカーとニラメッコ。
何時間でも飽きずに見ていられた。
「おう、来とったんか〜」
おじいちゃんは、ステテコ、よれよれシャツ、腹巻き姿にサングラスといった、いつものいで立ちで現れ
「コーヒー飲むか?」
いつものセリフで僕を出迎える。
「うん」
僕が答えると、おじいちゃんは、徐にガチャリとコーヒーの溜まった大きなカップを機械から取り出して、5歳の僕には少し大きめの、僕専用マグカップに優しく注いでくれた。
ドン
と、コーヒーの入ったマグカップを机の上に置いて、おじいちゃんは、自分の分のコーヒーをお気に入りのカップに注ぎ込む。
お爺ちゃんの一押しコーヒーカップは、湯呑茶碗だ。
おおよそコーヒーを飲んでいるとは思えない趣で
ズッズッ
と、足を組んでコーヒーを啜る。
おじいちゃんは決まってブラック。なので僕は、冷蔵庫から牛乳を勝手に取り出してたっぷり目に注ぎ、ザラメをパラパラ入れてお爺ちゃんのマネをして足を組み
ズッズッ
とやる。
「おいしい」
思わず笑みがこぼれる。お母ちゃんが入れてくれるコーヒーとは一味違う。
「うまいか?」
と、おじいちゃんはいつも嬉しそうに僕に聞くのだった。
「コーヒーはな、ブレンドが命だ。それから“#!#”$#%$&%‘&(’(‘!!それが究極なんじゃよ」
とコーヒー談義が永遠と続く。僕はよく分からなかったが、とにかくおじいちゃんは「モカ」が好きなんだと言う事だけは理解できた。
お爺ちゃんとのお出かけは、決まってコーヒー豆の専門店。(四天王寺さんの門の前にあった)
お店に入るとコーヒーのいい匂いが、店いっぱいに広がっていた。
豆を買って家に帰ると、おじいちゃんは、今しがた買って来たばかりのコーヒー豆を機械の中にザラザラと入れる。
おじいちゃんは、僕の顔をチラッと覗きこんでニチャっと含み笑いを浮かべると、スイッチオン!
緊張の一瞬である。
ガリガリガリガリガリ
機械が勢いよく音を立てながらコーヒー豆を砕いて行く。
僕は、なぜかこの瞬間が好きだった。
ガリガリと砕かれたコーヒーが、サラサラの砂の様になって機械から取り出される。
「あんなに堅そうな豆が!」
僕が言うとおじいちゃんは、得意げな笑みを零し、コーヒーメーカーにコーヒー豆をセットした。
お母ちゃんの話では、今ほどコーヒーが一般的ではなかった時代(戦前)からのコーヒー愛好家だったそうで、お母ちゃんが子供の頃、コーヒーメーカーに近づいただけで叱られるほどだったそうな。
ちなみに僕は怒られた事は無い。
僕とおじいちゃんは、又いつもと同じように足を組んでズッズッとやるのだった。
「おいしい」
祖父が無くなって20年近く経った。
大人になってもコーヒーのいい香りがすると、気持ちが少し高揚する。
今は、年の離れた5歳になる末の甥と一緒に、足を組んで、お爺ちゃんに教えてもらった究極のコーヒーをズッズッとやっている。
「おいしい」
屈託ない笑みが僕に注がれる。