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自転車とジジイ!!
「弱虫ペダル」を一気見して、マキちゃんに感動したので今日は、自転車の思い出について書いてみよう。
私と母と祖父の三人で尾道の千光寺に墓参りに行った後、「こんな機会めったにないから、ついでに旅行しよう」と、母の思い付きで、急遽旅行と相成った。
ついで参りはよくないとよく耳にするが、ついで旅行なんて聞いたことがない。まぁとにかく宿が取れたとかなんとか言って、母が行き先を告げた「大久野島。凄いよ〜。毒ガスだよ〜」と、母は嬉々として発表した。
なんのこっちゃ、それだけの情報量では、車をどこに向かわせたらいいのか見当もつかない。私の質問に一切答えようとしない母は運転席の私に、「早く行け」というように顎をしゃくって、先を急がせた。住所だけ何とか聞き出して、車を走らせた。小一時間ほど走ったところで母は私に車を止めさせ、「フェーリーに乗るよ♪♪」と、ウキウキした様子で私と祖父を車から降ろさせた。
港の駐車場で車を乗り捨てて、人だけフェリーに乗った。「車で行けねーのかよ」いぶかしむ私の質問に母は「車でいけないところが味噌なんだな〜」
と、これまた嬉しそうに答えた。
味噌でも醤油でもいいから、早くつかねーかな?私がオレンジがかった空を見上げていると「着いた!着いたよ!」と、母が声を上ずらせて島を指した。
目的地の大久野島休暇村で一泊した。豪華な夕食に大満足だった。次の日。朝早く、文字通り、布団をバシバシ叩いて、たたき起こされた。「何時だよ〜」眠気まなこの私に、祖父と母は準備万端と言った出で立ちで、「出発だ!!」と、父娘で両腕を突き上げた。
私も急いで身支度をして2人について行った。ロビーを出ると、レンタル自転車が用意されていた。
母と祖父は颯爽と自転車にまたがり、「行くよ」と、気合を入れてペダルを踏んだ。「どうして、朝っぱらから自転車なんだよ」私の叫びもむなしく、2人は猛烈な勢いで自転車を走らせていった。
母は当時50を過ぎたところ、祖父は86になったばかりだった。少しスタートが遅れたとはいえ、アラサーの私が追い付けないはずがない……
じじいと私の距離がどんどん離されていく。
「ちょっと!ちょっと待って〜〜」
はぁ。はぁ。はぁ。
小さな洞窟の前で2人が何やら立ち止まっていたので、追い付くことができた。
母 「こんなところでねぇ」
爺 「わしは、ずっと外地を回っていたから、こんなところが あったとは知らんだ」
と、感慨深げに洞窟を眺めていた。
私が追い付くと祖父は「なんだ、お前、おっそいなぁ〜」と、茶化してペダルに足をかけた。上り坂をものともせずに祖父は、私の先を走っていった。
「ちょっと、ちょっと待ってよ〜。はぁ。はぁ。コラ〜じじい待て〜」
「おっそいの〜」 (・ε・)プップクプー
と、20代の私をバカにしながら猛回転でペダルを踏むパワフルジジイ。
さすが、フィリピンから大陸に渡って、徒歩でシベリアまで行ったやつの脚力には、かなわない。
(本人はそう言っているが、本当に〜? と疑惑の念を抱いている私)
ほんとに?(¬з¬)
半日?いや数時間で島を一周して私たちは、帰途に就いた。そんなパワフルジジイは90を過ぎても、飲んで食って、大好きなアメリカンポップスでツイストを踊りまくっていた。
「ちょっと具合が悪いんだよ」ある年の春一番が吹いたころ、祖父は珍しく、体調不良を訴えた。「鬼のかく乱だな」と、私も母も笑っていたが、それから数日後、パワフルジジイは、あっけなく、あの世に旅立った。
「あ〜おもしろかった。じゃーなー」
と、手を振っているかのように、颯爽と逝った。死にざままでパワフル。
あの世で、12歳年下の愛妻が待ってるから寂しくないか。
「これがな、マダンナちゅうてなアメリカさんの売れっ子ねーちゃんやねん」
「これが、マイクルジクスンちゅうてな、ダンスの巧いにーちゃんやねん、ちょっとワシがおせーちゃるさかい」
とか何とか言って、あのエロジジイのことだから、手取り足取り腰とり、ばあちゃんに教えていることだろう。
もうすぐお盆なので、ちょっとじじいを回想してみました。
。゜( ゜^∀^゜)゜。