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波にさらわれる


ここ最近の私は他者への拒絶が強くてさいあく!って日とかトホホの日が多くて気が落ちるかと思ったけどなんだかなんとか乗りこなして存外元気に過ごせている。あと、外が散歩に適した温度の夜が多くて嬉しい。好きな音楽聴きながら近所をとぼとぼと歩く夜に支えられる日がある。月がいい感じの形だともっと嬉しい気持ちになる。私は新月に近い細い三日月が好き。比較的自分の機嫌を自分で取れている気がして成りたかった大人に少しだけ近付いた気になる。まだ、子供の頃に描いた大人にはなれてない。なれないのかもしれない。それでいいんだけど。

最近の悩みは目が滑りまくることでここ数ヶ月字幕映画がほとんど見れず邦画ばかりを選んでいた。当然読書も気が進まず普段なら数日もかからずに読むものを1週間以上かけて読んだり、何度も読み返したりしてすこぶる不調である。そのくせ聴覚過敏で音声認識がバグることも多くてもうてんやわんやである。作業中に何かを聴いたりするのが普段よりダメになってる。本当にシングルタスク人間すぎる。トホホ。情報の海で溺れまくっている。ぼんやりと携帯をいじってみたり俗にいうネットサーフィンをしてみたりもするが今の私はサーフィンのように乗りこなせないのでネット溺死する可能性さえある。SNSはあまり見ずに過ごしたい。悔しいけど何も考えずに情報の搬入と搬出をして、もはや情報の奴隷でしかない。感覚過敏と精神が落ち着いたら奴隷をやめて考えることに勤しみたい。与えられるものだけで生きていたいと思ってしまうのは奴隷でいることの楽さをしっているからなんだよなぁと怠惰な自分に呆れつつ後回しにしていることをしなきゃなとは思っている。

私が読書や映画を嗜んでいる大きな理由はこうやってわかりやすく自分の感覚の位置を把握できるからで好調不調もそうだけれど不調の中で何なら大丈夫で大丈夫ではないかも見極められる。(今回でいう邦画は問題なく見れていたところとかもそうだし、邦画が見れない時もある)あと、1番手っ取り早く知識や他者の人生観価値観を知ることができるのが好き。本とか読まなさそうとよく言われるが私は小中学生の時図書室の本の貸出数は全校生徒の中でも上位に食い込むほど本が好きだった。校庭で走り回るより図書室にいたほうが好きだったなと懐古してしまった。ちなみに読書感想文はめちゃくちゃ苦手で毎年動物が死んでしまう本を選び、死を題材にすることによってそれっぽく書いていた気がする。大人になって日記をぽつぽつ書くようにはなったけど、いつか読書感想文を書いてみたい。幼い頃の苦手意識故に私にとってかなりのチャレンジな気がするけどそのうち。

日記を書きつつ振り返ると比較的穏やかな日が多くて少しほっとしている。感覚のブレはまあ仕方ない。そのうち落ち着くから問題はない。けれど、いつも心のどこかで急に大波に攫われるのではないかと不安になる。突然自分の意思を問わずに訪れる陰鬱にのまれるのはいつになっても慣れない。もう少し自分自身を支える支柱を増やしていけたらいいな。支柱というかテトラポット的なやつがあったらきっと少し生きやすくなるんだろう。変わらず少しずつ、頑張ってみます。早く金木犀の匂いを感じたい。


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