才
私には才能がない。どの分野でも赤点は取らないけど100点を取ることもない。仕方ないししょうもないその事実に無性に落ち込んでしまい、立ち止まってしまっている。
最近励んでいる転職活動もうまくいかず、陰鬱は抜け切らないまま日々を食い潰している。悔しいという感情は持ち合わせるくせにそこに時間を割いて努力したかと問われれば否と答えるだろう。やらなきゃ、私がやらなきゃ誰が私を守るんだ。と自身を鼓舞しているものの嫌というほど染みついた逃げ癖や諦め癖というものが今この歳になって本当に痛手で、参っている。全くもって自業自得ではあるけれど。現実とか社会とかを嫌悪して見てみぬフリをしたのは私自身のくせに今更になって社会に馴染もうとするなんてなんて烏滸がましい話なんだろうと思いつつも今のうちに向き合わなければいけない。これから先もっと歳を重ねた私ではきっと社会に太刀打ちできない。社会は立ち止まっている人間をすぐに置いていく。走って追いつけるうちに走らなければならない。社会というのは、現実というのは人間が生きやすくなるように作り出したプログラムなのでそれに抗おうものなら生きづらいのは当たり前だなと思ったのでそろそろ待ち合わせた反骨精神というものを捨てなければいけない。反骨というよりは幼さ故の反抗期に近い気がするけれど。
私は努力らしい努力は不得意だし誇れるようなものは何も持っていないけれど確固たる自身の構築だけは怠らずにやってきた。それは自分自身を守るために、守れるように心を鍛えてきたつもりだった。しかしまあ人間というのも程よいバランスで出来ているので悔しいながらもこうやって落ち込んで自身の在り方を疑ってしまう。完璧じゃない所が人間のいい所だとは思うがいざ自身がこうも駄目になると嫌な気持ちになるなとまたも俯瞰して眺めていたりして。こうやって俯瞰して客観視出来ていることが大人になったなと感じる要素の一つで、私が成長して出来るようになった技でもある。今日ふと思ったがもし私がこの先の人生で客観視出来なくなって陰鬱を乗りこなせず本当に駄目だと感じた時は遠い国へでも行ってみようと思う。
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