見出し画像

ピーターパン


私の家にはぬいぐるみがほとんどない。幼少期はたくさんのぬいぐるみがあったはずなのに一人暮らしを始める時に横に置くのをぱたっとやめた。理由は、なんだろう。自立したかったのかもしれない。今もぬいぐるみは好きだけれど買うことはあまりなかった。せいぜいぬいぐるみというよりもはやインテリアになっているダッフィーとプレゼントで貰ったキャラクターのぬいぐるみくらいだろうか。こどもおばさんな印象を持たれている自負があるのでぬいぐるみは自宅にそんなにないと伝えるとよく驚かれる。そんな私が先日名古屋へ旅行した時に名古屋港水族館でシャチのぬいぐるみを買った。大きいシャチのぬいぐるみは8000円で、大人だけど、大人だから買えずに3000円の小さすぎず大きすぎないぬいぐるみを買った。レジの前に並ぶ子供達に、店員さんたちはどうぞとにこにことぬいぐるみやキーホルダーを手渡ししていて私の順番の時に静かに袋に詰められるぬいぐるみになんだか切なくなった。手渡されるショップバックと同時に大人になるということが突きつけられた。当然だが。


ぬいぐるみを買って気付いたけれど私はぬいぐるみがとても好きだし、寝る前にきゅっと抱きしめてしまうくらいにシャチのぬいぐるみを気に入っている。シャチ、すごかった。大きくて賢くてかわいかった。ぬいぐるみを購入したことによって思い出も付属されていて、良い。なんで今までぬいぐるみを避けていたのだろうと思ったけど学生時代から大人びているねと言われ続けた反動で子供っぽくいてはいけないと思っていた子供だったのかもしれない。今の私が学生時代の私に会ったら君はそんなに気負わなくていいよと伝えてあげたい。好きなものを好きだと、隠さなくても大丈夫だと。でもきっと私はぬいぐるみを買わないだろうし20代半ばでぬいぐるみを手にして喜ぶ大人になると思うけど。今も昔も難儀な人間だ。


ゲームを与えてもらえなかった子供は反動で大人になってゲームをたくさん買う、などはよく聞くけれど私は自主的にその欲に鍵をかけて仕舞い込んでいたのでもう一度開けていいものかと考えてしまう。けれど私は大人になって、大人になったから取捨選択できるようになったし、衝動的になることも欲に振り回されることもきっとない。次にときめいたぬいぐるみはきっと遠慮せずに買える気がする。シャチのぬいぐるみを横に置いてから眠れる日が増えたような気がして、バカなお子様思考だと思う反面なんだか少し気分が良い。
今日は眠れる気がしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?