私が毎日救われる世界
なんとなく涙が出る日が続いた。
特に理由はない。
それでも心がなんだか悲しい方に傾いて誰かとずっと抱き合って泣いていたいような、そんな気分を抱えていることが続いた。
仕事のせい?
いや女性ホルモンの影響か?
それともこのコロナ化の変わってしまった日常にちょっと疲れてしまったのか。
コロナで人と会えない日々に、別にそれでも関係ない。
今はただ家に引きこもって仕事を頑張る時期なんだと
自分に言い聞かせてアクセルを踏み続けてきたその摩擦が今、どっと訪れてきたのかもしれない。
そういえば、最近、私がよく言っているヨドバシカメラで飛び降り自殺と思われる事件が起こった。
その当日、同じ時間に同じ場所に訪れようと思っていたけども、なんだかちょっと胸騒ぎがしてやめていつも通り家に引きこもってゲームをした。
私が無心でスイッチの画面を見つめている同時刻に、人生に思いつめた誰かがその場所から人生を終わらせる一大決心をしていたのだと思うと、心が痛む。
と、同時に少し羨ましいな、と思った。
自死を選んだのはカップルだったとあとで聞いた。
そんな決断ができるほどの絶望は
何か大きな出来事だったのだろうか。
それとも小さなことの積み重ねで、耐えきれないところまで我慢し続けた結果だったのだろうか。
今となっては誰もその真意を確認することができない。
できれば、その日の1日前に君と知り合いたかった。
どうせ私なんかにはその決断の結果を変えることはできなかっただろうけども。
それでもせめて君の頭の中にある言葉を聞きたかったよ。
そんな勇気はどこから出るのかい?
今会えるのならきっとこう聞くだろう。
誰もが羨むような、
いわゆる軽率な言葉で例えるなら勝ち組とでもいうことができるだろう
芸能人だって、自死を選ぶ時代だ。
この世の中を生き抜くのはそう簡単ではないらしい。
繊細な人間ほど、1つ1つの出来事を真剣に受け止める人間ほど、
息をするのが苦しい世の中だ。
この世界で笑っていきることは、もうそんなに安易ではない。
だからこそ、そんな今だからこそ、
誰かと助け合って、弱音を吐いて、涙を見せて、
曝け出して生きていく勇気がきっと必要なんだと思う。
まぁそれが簡単にできれば誰も苦しまないのだけれど。
こんな世界で私は生きてる。
強がって、一人で頑張ろうとして、生きていこうとして。
不安を抱え、未来が見えず、ただこの日を必死に、
精神を削りながら、自分で抱いた感情に殺されそうになりながら。
きっとこうやって生きているのは私だけではないはずだ。
そんな時、少しだけ自分の生を救ってくれるのは
細い、細い、つながりだ。
普段の人間関係とはかけ離れ、何も気にせずに、ただふと息を抜く時間。
だから私はいつも1日の終わりに、動物さんとの暮らしを楽しんでいる。
「みんながやってるから」
そんな理由で勝手に嫌悪感を抱いていたあつ森を、乗り遅れた感もある今勇気を出して取り組んでみた。
こんな時間は無意味で、生産性もなく、非効率な時間だと、今も多少感じてしまうのだけれども、日常の生きづらさを感じずに昔ながらの物々交換で成り立つその世界観に少し心が救われる。
そして誰とも知らない、職業も年齢も性別も、何一つだってわからない一生会うことのないような人と会話をすることで、その細い細いつながりに今、救われていることは紛れもない事実である。
誰かに救いを求めたいけども、甘えられない人間は悪くはない。
心を救われる場所はきっと、現実世界でなくてもいい。
それでも、ここで今日、生きているという事実があれば、それでいい。