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アナスタシアを読んで、気づいて行動して変わってきた事

宇宙からの帰還という本を読んでた時に、頭に浮かんだ言葉が
「アナスタシア」
それは、シベリアの森の中で自然と共に生きる民族らしい。数年前に聞いたその言葉が今年に入って脳裏に甦ったのは、物理学者の保江邦夫教授が誰かの動画の中でアナスタシアのことを話していたから。

保江教授は宇宙が大好きで子供の頃から宇宙とかUFOの研究がしたいと言っていて、私は宇宙からの帰還を読んだ時に、そのことを思い出したのだった。宇宙飛行士が月から地球を見た時や、月で体験した感覚は言葉では表せない何か、それは神であったというようなことが書いてあった、もしかしたら空気も重力もない世界では私たちは別の次元に行ったようになるのではないか?などと思ったものだ。

私は、アナスタシアを図書館から借りた

その本には著者が出会った不思議な女性の暮らし方や考え、行動、能力などが書かれていて、ほんとにこんな人がいるのか?と思うほど想像もつかない、人間なのかさえ疑わしくなるような人物だった。

彼女はシベリアという寒いところに住んでいるのに、寒さを感じないのは、体温が保たれるからだと言う、薄い肌着のようなものだけつけて、家というものはなく、動物のように穴に入って眠る、食べ物は、合図をするとリスが用意してくれる。

彼女に危険が迫ったら、熊や狼が守ってくれ、幼い頃からある範囲から出ないように動物たちがいつも見ていて、安全に暮らせるらしい。動植物と話し、テレパシーのようなもので人に影響を与えることができる。どうしてそんな知識があるのかと思うような、専門的なことを知っていたり、予知能力のようなものもあるのかもしれない。

私たちは、生まれた時から建物の中にいて、着るものも食べるものも与えられ、その社会に住むために必要な常識を教えられ、他の人と同じように、その枠からはみ出さないように育てられる。
動物は動物園に、魚は水族館に、家畜は柵の中に、ペットは紐で繋がれ、または籠の中など、人間とは違う生き物として区別されていて、それが当たり前だと思っていた。

ところがアナスタシアの生き方は全く違って、まるで動物のようでありながら、彼女は

私は人間よ。

という。言葉はどんな言葉でも理解するという、またテレビもラジオもないのに、ロシアの流行歌を知っていたりする。

容姿は美しく、身のこなしは軽く、「美しき緑の星」という映画に出てきた地球外の惑星の人のようだった。

もしかしたら私たちは本来アナスタシアのように自然と共に生きられる能力があるのかもしれない、ううん、多分そうなのだろう。この星に人間が生まれた太古の暮らしはそうだったのだろう。ところが長い長い年月の間に変わってしまって、私たちは人間だけがこの地球上で意識的に生きていて、何も言わない他の生き物には心などないように思いこみ、好き勝手にしていいのだと勘違いしてしまった。

友達が訪ねてくれた時、花瓶に刺してあるロシアンセージの花が「命を助けてくれてありがとう」って言ってるよと教えてくれた。その花は、近所の人が垣根からはみ出した枝を切って、道の反対側の堤防に捨てていたのを私が見ていて、翌朝こっそりもらってきて、花瓶に生けたものだった。

私はその話をして、彼女に「へーそんなこと言ってるの、今読んでる本の著者が庭の老木に話しかけると返事をしてくれるって書いてあってね・・・」などど言った時
「上の柱がみんな喋れるのにねーって言ってるよ」と笑った。彼女は、植物や、石や、壁からも話しかけられると言っていた。

私が植物の声を聞けるようになるのはいつだろう?

なるべく自然に生きていたいから、薬は飲まない。病院に行ったのは、前に働いていた職場の健康診断で行ったくらい。体に異物は入れたくないからインフルエンザのワクチンもその他のワクチンも打たない、って言うより効果などないと思っている。頭痛がすると思ったら、早めに寝て、疲れたと思ったら体を休める。
それでまた元気になるし、寝たら治ると思っていて、一日寝ても治らなかったら、翌日も寝る、病院には行かずに必ず治る。

車がないと生活できない田舎だけれど、近いところは歩く。毎日1時間散歩、たまに登山。

自分をご機嫌に保つように努める。

健康の秘訣はストレスを作らないこと。

話がそれてきたけれど、私たちは本来自然の一部なのだから、不自然なものを食べたり、使ったりしない方が健康でいられる。そして、こうして生かされていること、植物が酸素を作ってくれていることや、太陽が明るさや暖かさをくれることや、水が全てのものを生かしてくれていることなど、自然が与えてくれる計り知れない恵みに日々感謝して生きる事を忘れてはならない。

アナスタシアは、ただ生きているのではなく、自分の使命を知り、それを果たすために生きているそうだ。人間はみんな何らかの使命があるらしい、それは本来の自分を生きること。私たちは生まれた時からこの社会の常識に縛られ、うまく生きていく術を教えられたけれど、人間としての本当の生き方を教えてもらってはいない。

私はある宗教の家に生まれ、その教えが正しいと思って何十年も従ってきたけれど、実はそれは間違っていたことに気づいた。その教えは、ありのままの自分を生きるようには教えていなかった為、私は自分を偽り、どん底を味わった。その間違いに気づいてから、人生が好転していき、今は信じられないほど幸せ!!

その宗教を一所懸命にやってきた両親は、間違いなく多くの人から感謝されていることも事実なので、それを広げるための協力はしないけれど、心から感謝している。

自分を偽ることは何よりも罪深いことだ。そして、全ての出来事の原因は自分で、この世に善悪はないのかもしれない。

アナスタシアは、両親とほとんど一緒に暮らさなかったと言う、生きるために必要な事を教えてくれたのは祖父と曽祖父だったらしい。決して答えを言わず、アナスタシアに考えさせて、彼女の答えを尊重した。

これほど便利な暮らしをしている私たちだけれど、アナスタシアにすれば、私たちの方が不便だと言うのだから、生きてきた環境によって価値観が全く違うのだ。

アナスタシアを読みながら並行して読んでいた「芹沢光治良」さんの本には、植物が話している言葉が書いてあり、芹沢さんも植物と話が出来たらしい。

その頃から私も、家の中に観葉植物を置いて、その植物や、庭の花に話しかける事が多くなった。そしてこれはずっと前からの習慣で、毎朝車に乗ったら、おはよう!今日もよろしく、と挨拶をする。

物事のタイミングが良く、直感が冴えて来たのは、なんの効果か?とにかく思いつくことは全部やろうとしていて、毎日が楽しくて仕方ない。

周りのあらゆるものに心がある事を認め、人に対するのと同じように、言葉をかけ、接して行くのなら、いつか彼らの言葉がわかるようになるのだろう。

そしてさらに直感が優れてきたら、いつ何があっても、その時にどう動いたらいいのかわかるようになる。

楽しみ〜

読んでいただきありがとうございます✨✨











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