リストラ 2
会社の希望退職書類締め切り日まで、本人は随分悩んでいる様子だった。46歳での転職の厳しさと、上の娘が中2で来年受験を控えている事など、彼なりに家族の事を考えて悩んだ1週間だったと思う。仕事を辞める事を決め、子供達にそれを伝えたのは、下の娘の誕生日だった。
「話があるんだけど、ちょっといいか」
と彼が子供達に声を掛け、
「お父さん、仕事を辞める事になりました」
と突然の報告に、全く把握できない様子の娘達。少しの間おうちにお父さんが居る事を伝え、これからの生活についての説明を終えた時、
「また、引っ越しするって事だよね」
と、上の娘が呟いた。
「ごめんな・・・」
と言う父親の言葉に、じっと何かを考えている様子の娘が、沈黙のあと口を開いたのが、
「いいんじゃない、お父さんがそう決めたんなら。お父さんがしたい仕事をゆっくり探したいいと思うよ」
とだけ告げ、部屋を出て行った。娘に夫婦で申し訳ないと思いながらも、大好きな父親を思う彼女の精一杯の言葉だったのだろうと、私も彼も同じ気持ちで受け止めた。下の娘は状況を理解していたのかどうかはわからないが、ただただ泣くばかりで、彼女の気持ちを言葉に出るのを2人でじっと待ち、話し出した言葉は、
「これからのご飯はどうなるの?今日のお誕生日のお出掛けは行かないの?」
と何とも子供らしい言葉だった。娘のおかげで夫婦で顔を見合わせ、久しぶりに笑みがこぼれた瞬間だった。
仕事を辞め、
「大丈夫、仕事すぐ見つかるよ」
と口にはするものので、不安な毎日を過ごす事になった。今後の生活設計を立てるにも仕事が見つからなければ住む所も決まらず、不安な時間だけが過ぎて行った。漸く馴染んできた子供達の生活や、始めたばかりの私の仕事など、色んな面で困る事が次々起り、一日中家に居て何もしない彼にイライラし、喧嘩の絶えない毎日が続き、お互いを思いやる気持ちも持つ事が出来なくなっていた。彼が自ら何もしないで居る事も、自分が仕事から帰り家事をする事も、子供と楽しそうに話す彼の声さえも煩わしく、楽しいものに思えない苦しい時期もあり、自分で自分が嫌になる時間を過ごす毎日だった。
この頃、お世話になっていた勤務先の医師やスタッフには、精神面や体調面のフォローもしてもらいながらの勤務で、家庭の事を考えシフトやお給料面も融通をしてもらい、本当にありがたい環境だったと思う。その時の私は、仕事に家事に慌ただしく生活を送る事で精一杯の毎日だったのだろう。その頃、また体に異変を感じるようになっていた。
主人の仕事は何社か受かるものの、生活面や条件が合わず、彼のこだわりもあるようでなかなか決まってくれない。今までと変わらない生活を送る事が出来る仕事を見つける事がこんなに大変だと、1年前には想像もしていなかった私達です。数社採用通知が届き、悩んで出した結論が、その後の彼を苦しめる結果になってしまったが、私達に漸く生活の光が戻ってきたのは、退職から4か月後の11月だった。
今思えば、3ケ月間は再就職活動が出来ず、その後の1か月の短期間でよく仕事が見つかったのだとわかるのだが、その時の私は彼を思いやる事も出来ない、一日中文句ばかり言っている嫌な奥さんで、子供達からもいつも怒っているお母さんだっただろう。彼の仕事と新居が決まり、1ケ月彼は1人で先に移動し、私達は1ケ月後の12月25日のクリスマスに、今も住む兵庫県に引っ越し、この日から我が家の新しい生活が始まる事になった。