ぼくらは保田のよい子達 1
1度目の退院の翌年の3月、念願のマイホームを購入し引っ越すことになった我が家。
『新しい場所できっといい事がある」そんな事を家族で話しながら希望いっぱいで引っ越した3日後、主人に転職の話が来た。以前から行きたかった会社のようで、彼のストレスが解消されることになった。
全てがうまく動き出したと思っていた6月の初め、私の体に異変が起こった。春は再発のリスクが上がるので、引っ越しの疲れが出ないように無理せず生活するようにと言われていたが、それが現実となった。新しい家は階段がある為、リハビリにもなっていたのか足が少しずつ動くようになり、自分で出来る事が増えていた。
ある日、引っ越し疲れがでたのか、倦怠感が取れず2階で横になる事にした。少し体調が戻ったようなので、起き上がろうとした時、ガクンとベットの下に倒れこんだ。1人で立ち上がろうとしても立ち上がることが出来ず、足がゆう事を利かない。怖さのあまり大声で叫んだのか、家族が駆け上がって来た。自分の体に何が起こっているのか理解できず、家族もまた信じれず驚いている様子だった。この日を境に、再発の怖さを知る事になる。
病院に連絡を入れ、数日間自宅で安静に過ごしたが改善されないので、受診と検査を受ける事になり、その結果再発した事がわかり翌日から入院する事になった。引っ越しの疲れと、数日前に娘が熱を出した感染が原因だろうと言う診断たった。この時の症状は足に力が入らず、排尿困難で手の指に震えがあり関節が曲がらない。シャワー浴びると体半分だけ温度が違い、針が刺さるような痛さを感じ足首から下が火傷のように皮膚が痛い状態だった。しかも以前の入院時とは違い、全く足の自由が利かない。検査の結果、今回は最初の入院時とは違うところにできた再発で、頸椎上部と脳幹の橋と言う部分が原因だった。何が何だかわからないまま入院し、採血、髄液検査後すぐに投薬治療が始まった。
静まり返った個室で天井を眺めながら、自分に起っている現実を少しずつ頭で整理し理解していった。難病指定の病気でも、予防薬をしていると再発しない人は沢山いる。その中に、自分が含まれると思い込んでいた。まさか再発するなんて、私はもちろん家族もみんながそう思い願っていたと思う。「どうして再発してしまったんだろう。これからどうなってしまうんだろう」 1日中同じ事ばかり考えていると、頭が変になりそうだった。そんな私を更に追い込んだのは個室。誰とも話せず、周りから音も聞こえないような病棟の個室だった。
この時私は1人で歩く事ができず、何をするのも看護師さんに頼まないといけない状態で、トイレに行くのにも気をつかった。治療は3日間続けて行われ、点滴が始まると全く眠れない。初日は一睡もする事なく過ごし、その間色んな事を考えて悲しくなる。たまに回ってくる看護師さんが唯一の話し相手で、再発した現実と不安で精神的に頭が変になりそうだった。1度歩けなくなった足はそう簡単には戻らず、漸く動きやすくなっていた体もまた元の状態に戻ってしまった。どうしてこんな病気になったんだろう。
どうして再発したの・・・。
「誰か・・・助けて」
と涙が止まらない。泣いても泣いても誰にもこの気持ちは伝えられず、静まり返った個室で精神的に追い込まれていく毎日だった。
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