懐かしさのために生きてます
最近は久しぶりの人と会うのがマイブームです。高校や大学の同期など。久しぶりといってもせいぜい1〜2年ぶりくらいのものですが。
授業などで意識していなくても自然に会うような関係だった人たちとは、卒業だったり学部が分かれたりでその会う要因がなくなった途端急に疎遠になってしまうものですね。
一旦疎遠になると、何か目的がない限り会いにくくなる気がしますが、なんの脈略もなく突然「会おうぜ」と連絡してみても意外と普通に会えました。
そして会ってみたらかつて親密にしていた時となんら変わりなく接することができますね。
ココロのスキマ
で、久しぶりの人と会うとまあ大抵懐かしい話で盛り上がります。
「1年のときよく〜してたな〜」とか、
「お前あいつの名前覚えてる?」とかいった話です。
懐かしい話ってめちゃくちゃ楽しいです。一種の興奮というか、幸せホルモンみたいなのが脳内で出ているのを感じます。
僕はたまにバラエティ番組でやっている「懐かしクイズ」的なもの(一時的に世間で話題になり、今はあまり認知されていないものの名前などを問うクイズ)や、平成の懐かしソングとかも好物です。
最近は古畑任三郎をどうしても見たくてDVDボックスを買うか悩んでいます。
この「懐かしい」に感じる興奮の正体はなんなんでしょう。
今のところ、優越感の一種なのではないかと思っています。
「些細なことは時間が経つと忘れられる」という人類一般の前提があった上で、「こんな昔の些細なこと覚えてる俺すげぇ」という優越感なのではないかと。
あと懐かしい話というのは大抵少人数の内輪だけで共有されている話であり、それゆえに「ほとんどの人は知らないのに俺たちだけが知ってるぜ」といった優越感もあるのかなと。
僕は自分が経験したことのないくらい昔のことにも懐かしさを感じて興奮することがあります。
例えば昭和の日本の映像など。東京オリンピックや大阪万博などのビッグイベントの映像を見てワクワクするのはもちろんですが、昭和のただの日常を写したような映像にもなんとも言えないエモさを感じて胸がざわつきます。
これもそのエモさを分解していくと、その後の日本の行く末を知っていることから来る、当時の人に対する優越感なのではないかと思うのです。
当時の人が想像もしていなかったであろう未来にいる立場から、高みの見物をしているといった気分でしょうか。
こう考えると僕はなんとも優越感が大好きな人間のようです。
普段の生活では常に他人の下にいるので、無意識にせめて空想の中では人の上に立とうとしているのでしょうか。
なんか心が寂しいですね。そのうち喪黒福造が現れて「ドーン!!!」とされてしまいそうです。
「懐かしさ」という究極の贅沢
まあそんな話はさておき、とにかく懐かしい話はめちゃくちゃ楽しいです。ですが、一方で懐かしい話は何も生みません。
成長する人は懐かしい話などしている暇はなく、今のこと、そして未来のことを常に考えているでしょう。
だから懐かしい話ばかりしてる奴はしょうもない奴とも言えるのですが、逆にいうとそんな何も生まない懐かしい話って究極の贅沢だなとも思うわけです。
大抵の娯楽も捉え方によっては何かの為になったりしそうですが、懐かしい話はマジで何も生まないと思います。「何かの役に立つかも」などという雑念のない純粋な娯楽です。
だからこそ、自分はこの懐かしい話という究極贅沢を大切にしたいと最近思っています。
今やっていることも、数年後に振り返ったら「懐かし〜」と思えると分かると俄然やる気が出ます。
僕は将来振り返った時に懐かしいと思う為に今を生きてるわけです。
「懐かしさ」を大切にするということは、過去のことばかり考えることかと思いきや、実は未来のことを考えることでもあったんですね。
未来の自分に「懐かしさ」という究極の贅沢を届けるための運動として、こうして思ったことを文章に残してみました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?