「思考のレベル」に差があり過ぎると人は理解できない

最近知ったことではあるが、ごみ屋敷に子供の頃から住んでいる人は「それが普通」だと感じるらしい。

「それが普通」とは、寝ている間にG(ゴ○○○)が顔の上を通ったり、何年間も水の流れないトイレがそのままになっていたり、壊れた冷蔵庫が買い替えも修理も行われないまま、そのまま放置され続けていたり・・・・・そういった環境が、「普通」だと感じるものらしい。

(・・・・・「読んでいるだけで気分が悪くなってきた」という読者の方もいるかもしれないが、今こうして書いているだけでも、私の方も、十分、気分が悪くなっているから、心中お察しする。)

話を戻すと、このように、「周囲にとっては常軌を逸している」が、当の本人にとっては「それが普通」の事がある。

なによりも厄介なのが、こういった子供時代の「それが普通」が、大人になっても、なかなか気づけない事だったりするのかもしれない。

「それが普通」という思考回路や精神構造には、なかなか理解しがたいものがある。(そもそも先の例は理解したくもないが。)

こういった、「思考回路や精神構造が理解できない」という事実は、何も別に、底辺に対してでなくても、「思考のレベルの高い人」に対しても言えることだと思う。

「思考のレベルが高い人」だと、周囲の人々が、容易に、彼(彼女)の思考を理解できず、これはそのままだが「(思考のレベルが高くて、)思考回路や精神構造が理解できない」と評されることもある。

いずれにせよ、人は、自身の「思考のレベル」と、相手の「思考のレベル」に差があり過ぎると、「思考回路や精神構造が理解できない」のである。

今回はここまで。

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