「答え」「意味」が無くても行動しろ。

「あなたは、誰一人見ていなくとも、ごみを拾えるか?(https://note.com/arishimat/n/n650ea8fb5bb0)」という記事で、私は、「ただ単純に「ごみが落ちている。だから拾う。」という、余計なことを考えないシンプルな考え方のほうが、「「意味」が無ければごみを拾えません」「「意味」を付けないとごみを拾えません」という意見よりも、よっぽど意味があるのではないだろうか」といった趣旨の事を書いた。

これと同じく、「考えてからでないと行動できない」「「意味」が無ければ行動できない」という考え方・思考のフレームだと、行動を開始するのが遅くなるし、ましてや、自分の人生の「選択肢」や「行動範囲」、「可能性」を、自分で狭めてしまっている・狭めていることになると私は考えている。

というのも、先の、「考えてからでないと行動できない」「「意味」が無ければ行動できない」という考え方・思考のフレームに頼っていると、人間は、「これについては、自分は、まだ考えて答えが出ていないから、行動しない」「自分はこれに「意味」を見出せない・感じられないし、世間も「意味」を見出していない・感じていないから、行動する気は無い」という結論に至ってしまい、人生で何一つ成し遂げられなくなるからだ。

「「意味」が見いだせなくても・感じられなくても、やる」
「「答え」が出ていなくても・分からなくても、やる」

そういった考え方・思考のフレームの方が、先の「考えてからでないと行動できない」「「意味」が無ければ行動できない」という考え方・思考のフレームなんかよりも、よっぽど、「成功する確率」は高くなるはずだ。

まだ納得がいかない人は次のクイズに答えてみてほしい。

この記事を読んでいるあなたの目の前に「A」と「B」、2つの選択肢がある。

どちらが「成功する確率」が高くなるだろうか?

A.「答え」が自分の中で出てから・分かってから行動する。
  「意味」が見出せる・感じられる事だから行動する。

B.「答え」が自分の中で出てなくても・分からなくても行動する。
  「意味」が見出せなくても・感じられなくても行動する。

答えはもちろん「B」の方だろう。

「答え」や「意味」が分からなくても・見出せなくても・感じられなくても行動できるのなら、それだけ、その人の「行動範囲」も「活動範囲」も広げられるし、多くの人ができないこともできるようになるだろう。

なぜなら、多くの人は、何か「行動」を起こすのに、「答え」や「意味」を求めようとする。

そのため、その分「手を広げようとない」「手を伸ばそうとしない」から、おのずから、「行動範囲」も「活動範囲」も、その分狭くなるからに他ならない。

「行動範囲」や「活動範囲」を広げるには、「答え」「意味」が無くても行動できならなければならない。

これは絶対だ。

今回はここまで。

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