「目的」と「手段」
「文字数を決める」ということなどの、「「今日やる量」を決める」ことの、「真の「弊害」」は、「文字数を決めてしまい、「今日やる量」以上は、やらない」という、「「マニュアル人間」みたいになる」というところにある」のではなく、その、文字数などの「今日やる量」を、「今日公開する量」と「イコールで置き換えて考えてしまう」ために、
「今日公開するもの以外は書かない」
つまりは、「「下書き」は、文字数などの「今日やる量」が決められていないのだから、書かない」
と考えてしまう、というところにある。
「今日も、「一定量」以上を書き続けて、「スキル」を向上させる」という「目的」が、
「今日も、「一定量」以上を書いて、「公開する」」という「手段」と、「入れ替わってしまう」というのが、根本的な原因だ。
両者は「似て非なるもの」だ。
前者は、「チラシの裏でも、なんでも良いから、とにかく書き続けて、人目に触れて、「スキル」を向上させる」という、「目的」であり、
後者は、「「note」というプラットフォームに、1日4000文字以上、書いて、公開をする」という、あくまで、前者の「目的」のための、「手段」だ。
「下書き」の「今日やる量」を、「宣言・コミット」したとしても、これを防ぐことは難しい。
なぜなら、「下書き」の「今日やる量」を、再び、別の「イコールで置き換えて考えてしまう」ためだ。
例えば、「下書き」の「今日やる量」を、
「これは「今日、「下書き」で書く量」だ。だから、「今日、「下書き」で書く量」を終えたから、これ以上はやらない」
といったように、
「「下書き」は、文字数などの「今日やる量」というものが、決められていないのだから、書かない、と考えてしまうという事、を防ぐ」という「目的」と、
「手段」を「イコールで置き換えて考えてしまう」などだ。
こういった「イコールで置き換えて考えてしまう」という、世にもやっかいな「プロセス」は、知らず知らずのうちに、発生する。
一種の、「思考のブレーキ・マインドブロック」のようなものだろう。
仮に先の
「今日も、「一定量」以上を書き続けて、「スキル」を向上させる」という「目的」が、
「今日も、「一定量」以上を書いて、「公開する」」という「手段」と、「入れ替わってしまう」
ように、「目的」と「手段」が「入れ替わってしまった」としても、「やらない」よりかは、「やる方」が良い。
なぜなら、やらなければ、そこで手を止めてしまえば、「「やらなかった」という「事実」が残る」が、「手を止めずに、やれば、「やった」という「事実」が残る」からだ。
「結果」とは、「事実の積み重ね」でしかないし、「結果」を出すためには、「事実」を、「積み重ねる」しか方法はない。
仮に、その「事実」が、「目的」と「手段」が「入れ替わってしまっている」ものである事に、「気づいた」としてもだ。
仮に「目的」と「手段」が「入れ替わってしまった」事に「気がついた」としても、別の、改善後の「動向」が決まるまでは、その「目的」と「手段」が「入れ替わってしまっている方法」を続けたほうが良い。
なぜなら、少しでも「事実」を「積み上げる」という必要性があるからだ。
今回はここまで。