「点」に頼ることは「悪」ではない

「テクニックを使うだから、悪」

ではなく、

「テクニックを延々とずっと使い続けていても、いずれは、うまくいかなくなる。だから悪」

なのだと思う。

「マーケティングの本質は、人である」と言う言葉が、「線」だとするならば、「マーケティングの心理的なテクニック」は、「点」にあたるものになるだろう。

「マーケティングの「線」」がわからないならば、先に「点」への理解を深めてから、「線」を理解するようにすればいいだけの話なのだ。

これは、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの「空中楼閣」の話を思い出させる。
以下に引用しよう。

自分の心に描く夢の実現に向かって努力する時、普段なら思いもよらぬ、成功が得られる。空中に楼閣を建てても無駄骨には終わらない。楼閣は空中に建てるものだ。さあ、その下に土台を建てよう。

「「マーケティングの本質は、人である」という、「線」が、今の段階では、わからないから、「マーケティングの心理的なテクニック」である「点」に頼るだなんてことをしてはいけない」

という法律はどこにも存在しない。

むしろ、

「「線」がわからないこそからこそ、「点」に頼る」

ということの、一体どこが「おかしい」と言うのだろうか?

むしろそれが普通なのではないだろうか?

むしろそれが一般的なのではないだろうか?

いずれは「点」から「線」へと、「脱皮」しなければならない。

なぜなら、いずれ「脱皮」しなければ、「さなぎが蝶々になる」ような「飛躍」ができないし、「いずれ全てがうまくいかなくなる」からだ。

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