一周しまくった結果、得たもの
雇用契約を結ぶセラピスト業、
学んで自学の沼へ移ったアロマ界隈、
どうせなら満足する形で食せるよう考えるご飯、
それもこれも中学生の頃に
ハーブを使うレシピと出会ったから
興味の付箋が貼られていた事に気が付くと
両親の愚痴から見えてきたトピックであったり
共通言語がどう働くか愉しさを見出した
自己探究と共に
セラピー的側面を持つ手法の数々も、そう。
(カードリーディングもここに含む)
私が触れてきた世界は
自分の内側から生じ、拡がる景色を見つめ
そこに輪郭を与える事を赦すか。
それに尽きるのだなあ。と
屋号にした“arise”に想いを馳せる。
さて
変化変容という言葉に何を想像し、期待するか。
その観点で見ても
あるものしか観測出来ないあたり
量子力学的なにかがありそうで。
ないものは自分の中にない為観測しようがない。
…よって、期待したところで
「ない」を知覚した場合、
行動に移す選択肢が無いにも関わらず
期待する分だけ人は
「当てはまらない」「当たらない」と
なるのでは?と感じるし
(「“無い”が“ある”」に混乱するのかな?の感じ
かく言う私もよくやるやつ)
だからこそ
「あるもの」を見ようと言われるんだろうな。
(そうすると「無いが有る」も一周して浮上しちゃうne!)
こんな面倒な事を考えるのも
因果な名を持つからこそ、かもしれないw
(卒業シーズンによく使うあの漢字です)
そんな私は
身につけてきた何かを提供するとして
値段を付ける事に違和感を感じていた時
自由を体現してる先輩の提案していたような
物々交換が出来たらすっごく愉しいだろうなー。
なんて思った自分に慄いたよね。
セッションの金額は単なる目安
悩みを解消するにあたってツールが混ざるのなら
それもアリだなぁ。と
ワクワクしてる。