鏡の法則とか聴くそれ
なんか嫌、と感じる事柄や人に対しては
認め難くダメ出しをしたい自分の一面を見出した上
クローズアップしている状態なので
一旦「なにゆえ?!」と悶絶している事を知る。
思う存分言い合った後に
モヤモヤ残りがちなものの正体は
都合よく目の前の相手を悪いように扱いながら
認め難い自分を攻撃したことでうまれた何か、なのか?と思い至る。
他にあるとするなら、きっと
無いを知覚する事への恐怖なのかもしれない🤔
まんべんなく、平均的に、の弊害なのか
どうにかひとりでやろうとして
機を逃す事はもしかすると
私が周りを信頼していないのではなく
弊害かも?と感じながら採用する価値観を以って
私が私という存在に信頼を置いていない事が
そもそもの発端だと理解できてほっとする。
最近記憶力に乏しく、
サポート体制が敷かれた驚き、それに報える
自分でいなければ!と気負う自分がいる事で
いつか来る筆記テストが怖いのだけれど
…そうか。
種を蒔く場所も種の種類も自分で制限していたし
そして
こういう時に声を出せる安心を私は得たかったんだ、と腑に落ちた。
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