僕は二十歳だった…。
「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。
何もかもが若者を破滅させようとしている。恋、思想、家族を失うこと、大人たちのなかに入ること。この世界のなかで自分の場所を知るのはキツイものだ。」
ポール・ニザン『アデン・アラビア』(小野正嗣訳)
2016年の8月某日、僕が釧路公立大学に足を赴いた際、夏休みということで学生はほぼキャンパスにはおらず、いるのは大学内の電算室で札幌大学にて行われた他大学とのディベートの準備でひたすらキーボードをたたき続け、それぞれの班の中で議論を重ねている下山ゼミの面々でした。僕は彼、彼女らにスーパーで買ってきた差し入れのお菓子を手渡し、居合わせていた一人に
「大日向さんはどうしたんですか?」
と何気なく聞いてみると
「あぁ、マサト(大日向氏の名前)は実家のある秋田に帰省していますよ。」
とのご返事。
「ふーん。そうなんだ。結構ここの大学って、東北圏内から進学してくる学生って、多いよね?」
と返すと、
「そうですね。それにマサトのところは横手なんで、成人式がありますから。」
との答えに、僕はとてつもない衝撃を受けました。秋田は夏に成人式があるのかと。
のちにそれを下山朗先生の研究室で話題にすると
「そうなんですよねぇ…。」
とのこと…。SCAN/下山ゼミの彼、彼女らに限らず、成人式とは「20歳の同窓会」であり、
「今何してるのー?」
トークがそこかしこで繰り広げられている、と聞いたことがあります。
ここで僕が「と聞いたことがあります」と書いたのは、何を隠そう僕自身が成人式には出席しておらず、当然「20差の同窓会」もナシでした。
正直なところを言えば
「学校卒業してからまで会いたいヤツなんて、いねぇや!」
という考えのもと、今まで長いこと生きて参りまして、つい先日、中学校時代の同級生となんと、18年ぶりにクラス会に出席したという始末であり、おそらく、当時の同級生の一人が
「原因不明の難病に罹り、療養生活を送っている。」
という話を偶然再会した同級生の1人(スナックのママ)から聞かなければ、参加することはなかったでしょう。
今にして思えば、僕の成人式の日は猛烈な吹雪であり、当時通っていた大学も休みで全面閉鎖。住んでいたアパートの部屋の中にいてもあまりの寒さと孤独で発狂してしまいそうになった僕は上着をひっかけて大学の近くにあった「北海道立総合体育センター 北海きたえーる」を中心に、すきっ腹とすっからかんの財布を抱え、目も開けていられないほどの雪と風にあおられながら、あてどもなくさ迷い歩いておりました。それが僕の「成人式の日」でした。
だからこそ、
「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。」
などとポール・ニザンの代表作である『アデン・アラビア』の有名な冒頭文をうそぶいている僕と、「リア充」を絵に描いたようなSCAN/下山ゼミの面々がこうして出会い、「共創」していることに「人生の不思議さ」を感じずにはいられない、そんな自分がいるのです。
●参考資料
・『アデン、アラビア/名誉の戦場 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-10)』(ジャン・ルオー、ポール・ニザン, 河出書房新社)