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有坂リョウVSシーチキンP

そこには2人の好敵手の物語があった。


【登場人物】


有坂リョウ・・・得意デッキはビートダウンと対話拒否系。苦手デッキはループ、コントロール、ミッドレンジ系統。
メンタルが弱くプレミが多い。

シーチキンp・・・得意デッキはデッキパワーの高いデッキ。所謂強いデッキを強く使うのが得意なタイプ。
たまに変なところで変なプレミをする。

【序章】


本来1年かけて行われるDMPランキング、DMPランキング2022はコロナの都合上、前期後期の半年ずつの分けて開催となった。
その情報を見た時、こんなことを思った。『今までより100位以内に入りやすいなら走るチャンスなのではないか』と。

自分は今まで非公認やデュエマフェスに出る、どこにでもいるような1人のdmpだった。なんならいつでも初めての何かを怖がり、非公認大会ですら友達が誘ってくれなければ出なかったと思う。ようやく大会という物に慣れ始めた頃だった。
そんな自分にも競技デュエマに対する憧れがあった。その年からcsに少しづつ出始めていたこともあってとりあえずcsに出ることを増やすことから考えることにしたのだった。

【第2章 出会い】


4月16日、その日は秋葉原カーディバルのcsだった。自分は秋葉原で5cコンが多いことに目をつけ青魔導具を握ることにした。
プレイングは正直今思えばかなり粗かった。それでもその日は多少の粗さも気にならないくらいに引きが強く、そのまま優勝することが出来た。

その頃にはcsに出始めて暫くした時であり、知り合いと呼べるような人も増えていた。その知り合い1人に優勝報告をしに行くともう1人の知らないdmpと話していた。そう、そのdmpこそがシーチキンPである。
その時はお互いのdm人生に残るほどの好敵手だとは思いもしなかった。

↑引きだけで勝って調子に乗る人の図

しかしここから物語をも驚かすような激動の展開が待っていた・・・

【第3章 運命か必然か】


自分の5月は相当弱かった覚えがある。この頃からわんちゃんあるのではと思い、活動圏内を東京から関東に広げたもののなかなか結果は着いてこずベスト8が2回とランカーとしては相当厳しい戦いを強いられた。
シーチキンPも同様に4月末に優勝したはいいものの5月はベスト8が2回と勝ちきれない日々が続いたらしい。

この辺りの時期
シーさんとまだ敬語で話してて非常にむず痒い

勝ち方が似ている2人は少しずつランキングの立ち位置が近くなっていった。それに加えてたまにcsで会うため少しずつ仲も良くなっていった。それはもはや必然と呼べるものだったかもしれない。この頃からお互いがお互いを意識しだした。

【第4章 好敵手へ】

自分もシーチキンPもランカーとして走り出し徐々にアベレージラインを上げていった。そしてお互い調整仲間として、好敵手としてpt争いは激化の一途を辿った。
時には100pt差、時には2pt差。週に更新されるdmpランキングに一喜一憂し、お互いを煽りあっていた。



この頃はまだ全国100位
東京20位あたりをうろちょろしてた


今思うとあまりにもフラグすぎてウケる
一級フラグ建築士名乗っていきます


数年ぶりの超csも二人とも4回全出場。そしてついにその時は訪れる。 

【第5章 差】


それは8月13日の超cs宮城でおこった。その日は自分は早めに予選敗退しサブcsも負けていた。

そんな自分とは対照的にシーチキンPは勝ち残っていた。その日のシーチキンPは最も得意とするjo退化を持っていき、引きもついてきたのも相まって異常なほど勝ち進んでいた。元々、彼はその手のtier1系のデッキを得意としてたのもある。
そしてその結果、シーチキンPは決勝戦まで進んだ。
流石に決勝まで進むといくらなんでも応援せざるをえなかった。

だが、正直なところ心のどこかで負けてほしいと思う浅ましく卑しい自分がいた。自分と違って勝ち進む彼を、どこか遠くに行ってしまう彼を、嫉妬と羨望と諦めの眼差しで見つめていたことをよく覚えている。

決勝戦、シーチキンPに立ちはだかるのはdmpランキング最強の男。
その日最強のjo退化とdmpランキング最強の戦いはとても面白かったので是非読んでない人はカバレージを読んでほしい。



結果シーチキンPは準優勝という結果に終わった。本人はとても悔しがっていたし優勝を見せられなかったと謝っていたが、自分達(調整だったりを手伝った人達は全員残っていた)は惜しみのない祝福をした。

(ちなみにひんたさん側の人は全員帰ってた。ある意味、玄人みがある)

しかし自分は表には出さなかったものの正直かなり精神的にキていた。
というもの超csメインは惨敗、サブはかなりの有利対面に上振れられて敗北し決勝トナメを逃す。

なにより、突然好敵手だと思っていた相手と約3000pt差が重くのしかかる。その3000ptの差が圧倒的なまでに、実力の差と痛感した。

そもそも有坂リョウという人間は先に書いた通りメンタル、自己肯定感がだいぶ弱く低い側の人間だ。自分のことを知ってる人ならよく分かると思うが、別にプレイだって上手くとも何ともない。プレミだって息を吸うようにする。たまに引きが強いだけの何処にでもいるようなdmp。
そんな自分が週のアベレージラインを稼ぎながら3000pt差を返すなど考えただけで無理だと分かっていた。

一瞬、頭を過ぎる。

『dmpランキングを走るのを辞めてしまおうか』と。

自分のその時のランキングは覚えていないが、アベレージラインを稼ぎ続ければスリーブもプレイマットも圏内だった。そもそもの目標はスリーブとプレマラインに入ること。ほどよく走ってほどよく良い位置に入れればそれでも充分かな。そんなことを思っていた。

その日帰ったあとにTwitterのシーチキンPの準優勝ツイートに一つリプライを送った。正直、リプライするのにもかなり迷った。内容もそうだし、リプライすること自体も自分の感情が邪魔をした。

悩んだ挙句、素直に称賛のリプライをした。今まではネタに走ったり色々言ったりもしてたが茶化す気分にもならず、素直におめでとうといった内容のリプライを送った。色々な感情を押さえ込んで書いた『おめでとう』だった。
するとシーチキンPからも真面目なリプライが帰ってきた。
詳細は流石に恥ずかしいので省くが最後にこう書いてあった。


見た時、思わず口角が上がってしまうのを感じた。自分を好敵手だと思っていた相手はどうやら自分が上に来れると、3000pt差を埋められると、そう思っているらしい。

内心苦笑いだ。2.4倍なんて勝ったことないし、優勝だって、5ヶ月弱走って、たかが3回。そんな自分が、無理だ。不可能に決まってる。馬鹿げている。

・・・でも

これで走るのを辞めてしまったら、違う。

自分とシーチキンPとの今までやってきた好敵手との物語はこんな所で終わってしまう、そんな安い物語じゃない。

もっと劇的でドラマチックで熱い物語なのだ。

諦めたりしない。

自分は走り続けた。
結局のところ負けっぱなしで終われるほど、人間出来てはいない。

悔しかったのだ。

劣等感で身体が破裂してしまいそうなくらいには悔しかったのだ。



【第6章 転機】 



8月19日、それはなんでもない普通のcsの日である。8月15日に新殿堂が施行されたため雑多環境になると思い、ならば自分の1番得意としているビートダウンで雑多環境に強い赤単を握った。
不利対面にも当たった、プレミもした。だが、その日は勝利の女神に好かれていた。結果は優勝だった。



勝てたので変える必要は無いと思いそのまま次のオリジナルにも持っていった。
勝負事には流れというものがある。その日は初戦で有利対面なアナカラーハンデスに手札から4分の1の我我我をハンデスされて負けてしまったものの、不利対面二つ(赤黒邪王門、青白ライオネル)を引き諸々で乗り越え、もう一度決勝の舞台に降り立った。
決勝の対面は初戦に負けたアナカラーハンデス(ユピテル入)。先行を取った自分は幸先よくブレイズクローを1t目に出し1点詰める。

「シールドトリガー『有象無象』」

赤単に取って1番最悪の負け展開である。まぁそんな都合の良い事あるわけないよな。と思いながらも諦めはしなかった。ノーチャージ、カンゴク、小型のバラ撒きを駆使しなんとかハンド枚数を維持しつつ盾を削った。相手も盤面と手札を必死に処理しつつお互い均衡した状態は続く。
結果、厳しくありながらもチャンスは巡ってくる。盤面は0枚ハンド1枚(我我我)2マナ、ただし相手の盤面もブロッカー0枚盾0枚でターンが回ってきた。トップSA要求。山にある可能性のSAはGソニ2枚or轟轟轟のみ。
ここを逃すとジルコンを立てるターンが出来てしまうため、勝ち筋がかなり細くなってしまう。

ドローしたカードをいつものようにプレマに置く。競技勢はわかると思うがドローしたカードをプレマに置くことで引いたカードが1枚であることを確認するのだ。
弾くカードの音。訪れる一瞬の静寂。その一瞬に、祈る。1点でトリガーを踏み抜いてしまったため自分側が概ね厳しい戦いだったため、負けても致し方ない。それはわかってる。そんなことは知っている。
だとしても祈ってしまうのだ。どんな形だろうと負けたくないのだ。そして引いたカードを見る。

そのカードは指を天高く、向かうべき場所を指し示すように突き上げていた。

デュエマの中で1番好きなカード
通常版が1番かっこいい

そこから自分の大躍進は始まった。新殿堂開始から間もないうちに2連続優勝で約2000ptを盛ると、次の0.6倍では準優勝、その次の等倍ではベ8に入り、立て続けに入賞した。ちなみに使用デッキは全て赤単我我我である。


東京20位前後の小競り合いから
東京5位を賭けた戦いへ

完全に流れが来ていた。シーチキンPとの差もあと数百pt、完全にいつ返せてもおかしくないpt差。
有坂リョウvsシーチキンP第2期開幕である。


【第7章 劇的でドラマチックで熱い物語なら】


その流れのまま9月3日久々に青魔導具を使い3位を取り、13日14日で赤単で連続入賞し、一気にそのまま1000pt差をつける。


そのまま運命の日まであと10日前まできた。この10日間で全て決着がつく。その日まできた。現状は先程も述べた通り1000ptで自分が優勢。
流石に大丈夫なはずと思う自分とこのままで終わるわけないと思う自分がいた。何せ自分で言ってたことである。

『自分とシーチキンPとの今までやってきた好敵手との物語はこんな所で終わってしまうそんな安い物語じゃない。もっと劇的でドラマチックで熱い物語なのだ』
と。


【第8章 その筋書きはきっと必然】


9月23日カーディバルcs優勝、シーチキンP。

その日は幸か不幸かcs会場のコンディションは最悪といっても差し支えなかった。というものの会場の空調が壊れていたのだ。ただでさえ狭い会場を更に狭く感じさせた。
その日の本戦は見れたものじゃなかったらしい。

自分は負けたあと梯子したため
当然結果は知らなかった

しかし、神の運命か悪戯か、優勝したのはシーチキンPだった。自分とシーチキンPのpt差はほぼ無くなった。ここからは1pt差が命運を握る。

この1週間はとにかくしんどかったのをよく覚えている。シーチキンPがptを稼いでるのを見て絶望したり、逆にプレミで落としたのを聞いてほっとしたり、しかしそれ以上にGPが近いにも関わらずデッキが決まっていないこと、自分の1番得意としている赤単我我我が環境的に相当厳しいことがより自分の情緒を不安定にさせた。

 ↑何故か初戦負け、2戦目byeで本戦に行った人の図
#飛梅CS最高


そして訪れるのは自分が出る前期cs最終日。この日の条件は有坂リョウこと自分が10956pt、シーチキンPが10866pt。自分が90ptリードしてる状態。シーチキンPがあともう1回csに出るのが確定してるのでここでついたpt差がそのまま最後のpt要求になる。
ただこの時には身内のフリーを断るぐらい、お互いに精神的に限界を迎えてた。もはや当たって雌雄を決したい。そんな話をしていた。
ただそういう時には当たらない。そういうものだ。ただ席はずっと隣にいた。勝ち数が同じなのが尚更自分たちに精神的負担をかける。限界ギリギリに等しかった。
そしてお互い本戦に上がってしまった。この日の本戦は名の知れた人しかいなかった。

自分の対面も、シーチキンPの対面も二人とも関東でランカーをしていたらまず知らないわけがない選手である。

自分は赤緑アポロvsアナハン(オニカマスガイアッシュ入)、向こうはアナカラーゼーロ(秩序入)vs赤単バルガ。どっちに転んだっておかしくは無い。

結果から言うと二人とも負けた。どっちかが勝てば諦めがつくのに。ある意味奇跡である。そして90pt差で最終日シーチキンPは最後のcsに向かった。
ただ自分はもう諦めがついていた。誰よりもシーチキンPの実力は知っていた。90pt差はあって無いようなものだ。最近調子のいいシーチキンPは確実に16位以上は取ってくるだろう。
でも、この諦めは前の超csの時の諦めとは違う。どうせ途中で勝てないと諦めるのではなく、自分の決めた最後まで全力で走りきった結果なのだ。
勝ったとしても負けたとしても、きっと自分を誇りに思える。だから、負けたらいつも通り全力で皮肉ってやろう。勝ったらいつも通り全力で煽ってやろう。
そんなことをぼんやり考えながらホテルでGPの調整をしていた。

調整をある程度したあとTwitterを覗くとシーチキンPが一つのツイートをしていた。

どうやら自分の勝ちらしい。正直実感が湧かなかった。
勝ったといっても運が良かったに過ぎない。思えば何から何まで色んなことがたまたま巡り合って勝っただけだ。
でも、自分はいつも通りシーチキンPを煽った。これまでもこれからも有坂リョウとシーチキンPの在り方はきっと『こう』なのだろうから。




【終章 好敵手】

かくして逆転に次ぐ逆転、怒涛のシーソーゲームを繰り広げた有坂リョウvsシーチキンPの戦いは終わった。

ところでこれを最後まで読んでくれている全員に問いたい。

『好敵手』

所謂ライバルと呼べる存在について、どう思うだろうか?

ちょっと小っ恥ずかしいとかそんなことを考えてるのではないだろうか。自分も書いててちょっと恥ずかしい。こういう文章の方向性にしてる以上、仕方ない事だが・・・。

でもランキングを走る上でこういった存在が身近に居ることは自分は非常に重要だと考えてる。やはり競い合って高め合うとはよくいったもので、シーチキンPと知り合ってなければ確実にもっと早くリタイアしてた。走りきれてなかったに違いない。現に2022後期や2023はランキングを伸ばし悩んでいる。

もしこれを読んでくれている皆がこれからランキングを走る上でそういった存在がいるならその関係性は凄く大切にすべきだと思う。その人にとっても、自分にとっても、きっと大きな存在になってくれるだろう。
逆にそういった存在がいないならランキングの近しい人と仲良くなってみてもいいかもしれない。

今回、自分が話したかったのはそういった話だ。

今後の競技dmpの更なる繁栄と発展を願って、この話はここで終わりにしようと思う。



【おまけ 後書き】


この最後の最後まで読んでくれているということは自分かシーさんの知り合いか相当な物好きなんだと思います。

まずはここまで読んでくださってありがとうございました。拙い文章でしたが、楽しんで頂いたなら幸いです。

なんか1年前に書くと言っといて放置してたのですが、今更になって急に筆が乗ったため最後まで書かせていただきました。

書きながらずっと思ってましたが、この2022年の1年間は運が良かったと思います。競い合う身内にも、調整環境にも、勿論自分の引きに関しても、全てに恵まれた結果でした。
今では調整グループも出来、csに行けばだいたい話せる人が何人か居るという状況です。感謝感謝です。

昨今のdm界隈は悪い意味でも悪い意味でも、話題に事欠きません。たまにはこんなちょっと小っ恥ずかしいけどそれなりに熱くなれる、そんな競技dmだったあるんだよってことを伝えたくてこのnoteを投下するのかもしれません。ただ自分が自己肯定感に浸るために投下するのかもしれませんwいえーい!シーさん見てる〜???俺が勝った自慢話、轟破天自分語りしちゃってま〜す!www

さて、冗談はさておき

このランキングの節目にこういったnoteを投げるのはこんな話が他にも出てくる、もしくは他dmpのモチベに1mmでも繋がればなーと思って書いてたりもします。
なんにせよ、先にも述べましたが今後の競技dmpの更なる繁栄と発展を願って、こういった良い活気のあるdm話が増えることを願って、後書きを締めさせて頂きます。

SpecialThanks:シーチキンP







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