マシュー・ペリーさんの知らせを聞いた日のきもちについて

直接会ったことのない人を亡くして、初めて泣いた。泣いて、目の周りが不思議なマゼンタ色になった。
昼間に泣き終わった気でいたけど、ベッドに入って今また涙が出てきた。声をあげて泣いても足りない、って気持ち。知っているようで、初めて味わうようでもある気持ち。悲しくて、信じられなくて、また悲しい。

長年依存症と闘っていたと初めて知った。ただフレンズを観て笑っていただけのファンだったから知らなかった。でも人生の半分くらいの間、フレンズに元気をもらい続けてきた。
受験が終わった日、コストコのアップルパイをひとりで平らげながら夜中までずーっと観たなあ。幸せだった。
私にもこんなフレンズがいればいいのに、って泣いたこともあった。
フレンズから学んだ色んな恋愛の形が小説に滲んで、「すごい発想」って反応をもらったこともあったり。
初めて出会った高校生の頃は、自由でおしゃれで楽しい6人にびっくりして、あっという間に夢中になった。画面の向こうに、行きたい世界が現れて、画面のこっち側まで楽しくなった。
なんの話だっけ。思い出して泣けてきた。たくさんの幸せをもらったから。
そう依存症。とびきりおちゃらけてて楽しいチャンドラーを具現化しながら病気と闘っていたんだと思うと本当に
明るくて複雑なひとって偉大だ。
偉大だから複雑になる。
その分優しくなるんだろう。そうじゃないと、あんなに人を幸せにできない。面白い、って、賢さと繊細さに裏打ちされた次元の高いパフォーマンスであり気質だと思う。
病気ということでいうと私も強迫性障害というのがある。
病気って恥ずかしいことじゃないんだと教えられた。だから悲しいだけじゃなくて、泣いてるだけじゃなくて、知らせを受けた今日のことを忘れちゃいけないと思った。
病気は偉大さの裏舞台に過ぎない、って、自分の病気に対して強く毅然としていよう。恐るるに足りない。
チャンドラーありがとうって思うとまた泣けてしまう。
初めて出会ってもう15年くらい経つけど、今でも仕事から帰ると毎晩観てるの。学校から帰ってテレビをつけてた頃と同じに。
これからもずっとだいすき。

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