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久しぶりのしっくり

最近は『物語』というワードが

頭の中によぎる。

何か知識を教えたくなる性質があるのだけれども

それは自分が知りたかった内容や

それを知ったことで自分が納得したから

それを知ってほしくて

相手にも”伝えてあげよう”としていた。

特に、ボディーワークレッスンをしていて

初めはそれで楽しかったのだが、

1年やってみて

日常で使える知識として与えていたが

なんだか続けていると

自分の伝え方にまだまだ研鑽が必要だと

感じてきている。

日常生活や職場での会話でもそう。

普段の自分の答え方だけでなく

相手の話し方を感じてみても

知識だけではなんか疲れるときがある。

博識な方が多すぎて。笑

やはり大切なのは相手主体。

相手が受け取りやすくなるような物語に

変換する必要がある。

どう伝えようか?を考えていたが、

『物語』というワードが出てきた時に

私の中ではしっくりきたんだ。

なんかホッとした感じ。

でも思い返せば色んな先生は

例え話を組み込んだり

レッスンにも起承転結があったり

私もそれを真似したり

ナラティブセラピーという言葉もあるし、

読んできた本にもたくさん

私たちは主人公、人生はひとりひとりの物語

みたいなことが書いてある。

頭ではキレイな言葉として

わかったつもりになっていたけど

今の自分にはとても

必要な言葉として印象づいた。

『物語』として伝えることを意識してみる。

みんな自分の解釈の中で生きているから

そこに伝わりやすい物語を執筆しよう。

そして一緒に読むような意識で考えてみよう。

その方が自分自身も楽しめそうな気がしており

なんだか体が軽くなったんだ。


そして私は

相手の生きてきた歴史や

そこで起きた価値観の変容を聴くのが好きだ。

いっぱい尋ねたくなる。笑

なぜかは分からないけど面白いよね。

人に興味がないと思い込んでいた人が

面白いとか言ってるからね。

人生って死ぬまで短編小説の繰り返しだ。

相手を知って伝える。

それが”伝わる”になるために

『物語』を執筆し朗読していこう。


めでたしめでたし
(まだ気づいただけよ。笑)

Arisa


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